明るい木目調で統一された落ち着きのある空間を提供している家族で来るようなお食事処でわたしは、ひとり、デンプンを多く蓄えている地下茎が芋になっているものを切り刻んで揚げたポテトとかいう料理を食べながらこの文章を書いている。
「暇」とかいう人間に絶望を与えるには充分過ぎる拷問にも等しい時間をわたしはひとりで持て余していた。
今思えば学生の頃は「暇」なんていう時間があまり無かった。
勉強があった。宿題があった。部活があった。バイトがあった。友達がいた。
わたしは高校の頃から寮生活で、隣の部屋に行けば友達がいるような状況に慣れてしまった。
大学の時も途中までは寮生活で毎晩バカのように騒いでいた。途中からアパートに移りひとり暮らしをはじめたが、歩いて5分もいらないような距離に友達が住んでいたので毎晩のように会っては喋って騒いでいた。
全てが凍りつくような厳しい寒さに襲われる北の国と、宇宙と科学と学園都市での学生生活にわたしが退屈を覚えることはなかったのだ。
そして年月は流れ、学生生活に幕を下ろした。
同期のほとんどはわたしが憧れてやまない東の都か、あるいは自分が生まれ育った街に行ってしまった。
わたしはこの宇宙と科学と学園都市に仕事を見つけ、そのまま住みつくことになったのだ。
学生からの脱出にそこに待ち構えていたわたしの最大の敵は「暇」だった。
わたしは人と関わる仕事をしている。その仕事はシフト制度を採択しており、その週ごとで休みが異なっているのだ。平日休みが多い方である。
そして世間が休みであればあるほどわたしの仕事は激務になる。そのため、年末年始は仕事であり、北の国へ帰国することは考えていない。むしろ考えられない。
でもその方がわたしにとっては好都合でもあった。
北の国の、奥の奥、人口よりも牛口にほうがはるかに多いと言われている酪農大国とも言われる街にわたしの実家がある。
そこには流行に敏感な若者が群がるような黒玉入り飲料品を売りにしている店も無い。陽気なペンギンが王として「激安」を謳う黒と黄色で染め上げられた店も無い。人々の自己満足が溢れ出る夕焼け色の箱が採用するような風景もこの街にあるはずが無い。
無いものねだりねだりすぎてここまでやってきてしまったわたしが、あの国にあの街に帰ったとして、そこでわたしにやることはあるのだろうか。
いや、あの街にしか無いものも確かにあるのだ。
酪農の恵みである牛乳とバターとチーズは限りなく美味しいし、そこから生まれた白くて甘くて冷たいものも人生で美味しい食べ物ランキングに余裕でランクインしている。
そしてわたしの部屋がある暖かい家もある。そして先祖様のお墓もある。
数年くらい墓参りをしていないんだろうか、とふと思った。だからわたしは近いうちに帰ろうかなと、思う。
話が逸れたね。
仕事柄、不定休で平日休みが多いわたしにもちろん友達との予定が合うはずもなく、宇宙と科学と学園都市から東の都へ出るまでに小一時間かかってしまうというネックさから、わたしは比較的引きこもりになってしまったのだ。
大学時代とは違い、レポートもない。サークルもない。毎晩一緒に騒げるような友人もいない。
そう、わたしはここでひとり、「暇」と闘っているのだ。
東の都へ移住したいという思いは募るまま。
みなさんよいおとしを。
来年もよろしくおねがいしますね。