今日は大学で卒論をかくための本をたくさん借りてきた。
肩がもげそうな重量のカバンを担いで3時間の満員電車に耐えてみせた。インフルエンザのワクチンで筋肉に穴が空いているというのに!
すごくおつかれ、肩。
いま、地元の駅についてマックで愛してやまないチキンフィレオバーガーを食べながら今日1日の懺悔を繰り返している。
今日最大の後悔は、まぎれもなく本を踏んでしまったことだ。
図書館で積み重ねた本をふらふら支えていたらてっぺんから本が落ちて、思いっきり土足で踏んでしまった。
しかも、その本がわたしの愛しい永井均さまさまが書いた『これがニーチェだ』という事実。
本にも申し訳ないし、文字にも申し訳ないし、出版社にも申し訳ないし、フリードリヒ・ニーチェにも申し訳ないし、永井均さんにも申し訳ない。ああ、この罪悪感はどこへ葬ったらいいのやら。
すぐさまにそっと地面に膝をつけて、本の表面を手のひらでなでながら「ごめんなさい」って小さい声で言ってみたけど、全然救われなかった。
むしろ、罪悪感は深まるばかりである。
Twitterで永井さんに「今日、本を踏みました。ごめんなさい。」ってリプを送ろうかと思ってしまうし、ニーチェの実家まで行ってお線香を立てたい気持ちでいっぱい。
そんな大げさな!と思うだろう?
ところがどっこい、それがそうでもないんだな。
お土産についてきた「ぜひ食べてね!」と書かれた小さなメモ書きも含めたこれまでのお手紙を全て保存している私には、とても重大な罪なのだ。
ああ、どうにかこの罪を誰かに話して認めてもらいたい…。
そう思ったとき、このダーリンの存在を思い出したんだ。
ありがとうダーリン。ここで私の罪が世の中に認められて永井均さんの微笑みにつながりますように。
そして、自分の足には厳かに罰しようとおもいます。めっ!
そういえば昨日、注射を打つとき右手を差し出したら「痛んだり腫れたりすることもあるので、利き手じゃない方がおすすめです」
ってわざわざ筆談で書いてくれてうれしかったなあ。
本当に左手でよかった。右手だったらいまごろ肩が外れてカバンの中に入っていただろう。
筆談だと口で言うより5倍ぐらいの時間を要するし、わたしもときどき「そのくらい口で言ってもいいのに」と思うことがあるんだ。
でも、絶対にいやな気持ちになることはない。
その人の真心が伝わってきて、たとえ汚い字でも単語単語だけでもとてもうれしいから。
文字は書くのに時間がかかるから、待っている間に「なんでこの人はこの言葉を選んだんだろう」と密かに考えながら相手が動かすペン先を追いかけるのが好き。
ペンを動かすと無機質なインクが紙の上で踊り舞う文章に変わっていって、ペンの先端から相手の脳を覗き込んでいるようなきもちになってとても幸せを感じるんだ。
書いてくれる人、いつもありがとう!
そして一生懸命書いた『これがニーチェだ』を踏んでしまって、永井さんほんとうにごめんなさい。
私はダーリンのみ名によってあなたの罪を赦します。
ありがたやーありがたやー