おととい、シフトが一緒になったメガネがやたら饒舌だった。
話をきいてみると、どうやら彼は今年の新成人らしい。中学時代の友人をお酒で潰すことが楽しみでたまらないんだと。ああ、なんて可愛いの・・・
そんな彼に、わたしは言ってやった。「ハタチは特別だよ」
ハタチになった当時の自分は、まったく何かが変わった感じがしなかった。
誕生日を迎えたその日からお酒やたばこが合法になりました。で?って感じじゃん。さらに言えば、法的に言うと解禁は誕生日の前日だしね。しかも大学生だし、扶養されている身だ。まったくオトナになった気がしなかった。
「ぜんぜん実感ないです〜」って祝われるたびに言い返していた。
でも、今になってみると振袖を身に包んだ瞬間、わたしの中でなにかが変わっていたと思う。それはあまりにも些細なことで、そんなに重要なことでもなかった。
わたしは母親が成人を迎えた当時の振袖を、晴れ着に選んだ。
今までの自分なら、「ちょっと新しいものが着たいなあ」とか、きっと不服に思うこともあったと思う。でも、当時の自分はまったくそう思わなかった。「ハタチなんだから、オトナになろう」なんてほんのちょっとした覚悟をしただけだ。でも、その覚悟がわたしの器をうんと広くした。
「お母さんが着ていた振袖を着れば、きっと母親も祖母も喜ぶだろうし、もっといえば着付けのおばちゃまたちも古風の柄に好感をおぼえてくれるだろう。」
そんなことを考えて、わたしは自分の好みより周囲からのニーズに応えることを選んだ。それを「うわあ!わたしってば、なんてオトナなの!」なんてうぬぼれながらね。
いろんな小説やエッセイにはこんなことが書いてある。
「オトナになるということは、縛られることである」
『ピーターパン』でもネバーランドにいけるのは純粋な子供だけ、という設定があったりしてね、フック船長が時間(ワニ)に追われて怯えながら暮らすオトナたちのモデルとして描かれているように。
実際に、オトナになったことで周囲の目を気にする機会が増えた。最近、福岡県の住まいを探そうと不動産と連絡をとったときに、電話を親に代わってもらったことを自分は恥ずかしく思った。ほんとうなら、オトナなのだから自分がやるべきことなのに!きっと、あの不動産は「あの娘は未熟なオトナなんだなあ」なんて思っているにちがいない。くっそ〜〜〜なんだか悔しいぞ。
でも、わたしは思う。
オトナになったことで、ひとつの逃げ道を獲得したような気もする。
今まではわがままを諦めるとき、むりやり自分を納得させて涙をのむしか方法はなかった。でも、オトナになったことで「オトナだから」という言い訳ができるようになった。
そのことは、自分の感情や欲望を制御する舵を上手にあやつるために必要なことだと思う。感情や欲望は押さえつけてばかりじゃよろしくないけれど、時には自分でも「こんな自分いやだ!」というぐらい理性が追いつかないときってあるでしょう?
そんな自分に魔法の呪文をかけられるようになった、ってことだよ。
「ちょっと、ななこ!ななこはもうオトナなのよ!」ってね
俺は大人になりそびれた!大人になれなかったのだと思う。正しいタイミングにね。それはそれで辛いのだけど楽しいこともあるよね。子供上等
よしだくんはいつまでも全裸でしょう。オトナみたいな煌びやかな服装はとても似合わない