こんにちは、よしだです。
僕はステップを踏み続けないといけない。それもうんと上手に。先日そのような話を涙ぐみながら書き上げたのだけれど、悲しいことにすべて消してしまい公開することができなかった。当日のエモーショナルな文章を再現することはできないけれど、なんとなくそんな話をしよう。
僕は福岡伸一の「動的平衡」という概念が好きだ。すべての物事が可逆的に動作を続けることによって、動的な均衡状態を生み出すことができるということだ。まだ読んでない人は「動的平衡 ダイアローグ」を読むのをお勧めするよ。動的平衡という概念を、カズオイシグロや平野啓一郎や(名前を忘れたけれど)建築家や人類学者などと対談をして具体的に網羅していくという内容。特にカズオイシグロと「記憶」についての話をしているのがまじで興味深い。はやく読んで。マジで。
簡単な説明をしよう。人って構成分子を生成したり破壊したりを永続的に繰り返すことで成り立っているいわば動的平衡な存在です。一年くらいすると人間の構成分子はすべて入れ替わってしまうのだけれど、じゃあ、いったいなにがその人をその人たらしめているんだろう。という問題に迫る。カズオイシグロは人間の個を保っているのは「記憶」なんじゃないかと主張する。彼の小説は特に人間の記憶について扱うことが多いので、カズオイシグロの小説を解釈するのに動的平衡性についてかんがえるべきなのか。という気づきがあるし、よりいっそう興味がわく。まじで良い対談。
やばいカズオイシグロのはなしをしすぎた、、、、疲れてきた。
動的平衡ということばはとっても好きなんだけど、実は僕はもっと前からこの言葉に出会っていたことに気がついたのだ。「これは僕のための本だ」と読んで感動した小説がある。たしか大学2年のときに出会ってそれいらい何度も読み返しているのだ。小説のなかで、主人公は羊男という謎の人物にホテルの一室で再開する。そして羊男は主人公にこう忠告するのだ。
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
先日はっと思い出して手に取り、この一節を読み返し、ひたすら涙が溢れてきた。そうだずっと前にこの言葉に出会っていたし、僕が生きていくにはこれしかないんだと改めて認識したのだ。
村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」の感想を読んでいると「足をとめちゃうと、チャンスをつかむ機会を逃してしまうし、行動しつづけないとと思いました」みたいな感想が散見される。ちがう、全然わかっていない、村上春樹はチャンスをつかむための方法論を語っているのではない。たぶんこれは生き方を語っているのだ。日々移り代わる世界で何が自分を担保してくれるのかを考えたときに、もう自分で自分自身を形作っていくしかないのだ。あっちにいき、こっちにいき、それは社会的にみて無意味なことも含まれるだろうけど、そうやって自分を形作るしかないのだ。これは間違いなく動的平衡の話をしているんだ。
ということで、僕はステップを踏み続けるぞ。それもうんと上手に、そのすべてがきっとよしだじゅんやなんだろう。というかステップを踏むのをやめたら僕はなんでもなくなってしまうのだ。たぶん。まじで不器用でもいいから頑張るしかねえと先日決意したのです。
今日も読んでくれてありがとう。一家に一台みたいに、一人のココロに一人羊男を。たまに足を止めると、こうしてしかりつけてくれます。いいだろう。
よしだくんと出会いたてのときにダンスダンスダンスの話をしたことを思い出しました。前半はさっぱりだったけど後半はわかるなあ
前半さっぱりなんかい。すみません。
ダンスダンスダンス好き。読み返そう
みんなダンスダンスダンス好きじゃん