ゴガクのミリョク

私は不思議なんだ。
言葉がちゃんと通じるのがとても不思議。

留学期間も入れた大学5年間、いろんな言語をあれこれかじった。

1年から始めたロシア語。1年間の留学で日常会話くらいなら話せるようにまでなった。日本に帰ってから使わなくて、すっかり錆びついてしまっている。

2年ではアラビア語の授業をとった。アラビア語の文法は難しすぎて覚えられなかった。
でも右から左に書くときの感覚が好き。左利きのための言語ではないかと思う。

3年生の時に出会ったのが手話。今ではもう私にとって欠かせない言語となっている。手話の世界では、聞こえない自分としてありのままに受け入れられる。

そして学科の専攻言語の英語。
大学の英語の先生は、授業中、学生に英語を聞かせる。アニメの英語吹き替えやニュースやTEDのスピーチを聞くことで英語が自然と身につくものなのか。

初め、語学は葛藤の連続だった。
なんで外国語学部なんかにきてしまったんだろう。
自分に合わない場所にいる気がした。

もし全く聞こえなかったら諦められたかもしれない。中途半端に聞こえるから、余計な望みを持ってしまう。
こんなふうに話せたらなぁ、って。

私なりに英語を聞こうとあらゆる努力をしてみた。スクリプトを見ながら、同じ英語のスピーチをなんども繰り返し聞いた。
音読するのはわりと好き。聞いては真似して発音した。
こういう時、CDやスマホで何度も再生できるのが便利だよね。何百回でも嫌な顔せず同じ音を再現してくれる。

その結果、まあまあ英語らしく話せるようになった。
ロシア語も話せる。ロシア語っぽい発音になりたくてたくさん練習したんだ。

そこまでして話せるようになりたかったのか?

私にとっては音楽を聞くようなものなんだ。英語やロシア語のリズムが好き。
それぞれの言語、さらにその中で一人一人の話し方。完全に聞こえるわけではないけれど、注意深く耳を傾けているとその完成された言語の姿が浮かび上がる。

単語はこう。
リズムはこう。
文法はこう。
決まっている中にも自由さがある。そこに話し手の色が表れる。

手話は特別だ。英語ともロシア語とも違って、音のない言語。音はないけど手の動きにはリズムがある。
こんなふうに話せるようになりたいなぁ。そう思って手話を見続けているうちに、だんだんだんだん身についてきた。

自分の手話が通じる時、
不思議だと思うと同時にとってもうれしいんだ。

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