ネタバレは許されないのか

ネタバレは許されないの?
やっぱり、私は納得いかなかった。

いや、ネタバレして誰かの不興を買ったわけではない。
「ネタバレするよ」
「しないでよ!」
という会話のはずだったのに、
「ネタバレしていいよ」と私が答えてしまったから、どうもおかしな会話になったのだ。

ネタバレとは、不思議な文化だと思う。
考えてもみてよ!夏休みの読書感想文はネタバレのオンパレードということになるんだよ。
それの何がいけないというの?

むしろ、私は読書感想文を読みたくなる。どんな作品を選んで、どんなところに感動したか、あるいはしなかったか、知りたい。
ネタバレはあくまでも相手の言葉であって、自分がどう感じるかは、実際に自分が味わってみなければわからない。

The proof of the pudding is in the eating.

例えば、
プリンがどんな味か説明を聞いた後で食べたとしても、プリンの美味しさは変わらないはずだ。
「めっちゃおいしいよ」と言われた後と、「そんなにおいしくないよ」と言われた後では、期待の過多に変化はあるかもしれない。でも食べるプリンは同じものだ。
誰においしい、まずいと言われても、自分の感覚でどう感じるかは自分で確かめてみなければわからない。

だからね、もうすでに作品を知ってしまった人は、我慢なんてしないで話してしまったらいいじゃない。

「結末をバラされたら映画を見る楽しみがなくなってしまうじゃないか」
そう?そんなことないと思うけど。

作品を楽しむことを少しも損なわないと思う。
シンゴジラに、最終的に人間は勝つのか負けるのか知っていたら、幾分か安心して映画を見れるのではないか。
お化け屋敷にどんなおばけがいるのか教えてもらったら、怖いか怖くないか試してみる勇気が出る。「わっ!」と背後から驚かされるよりはずっといいよ。

前もって結末を知っても、おもしろい話はおもしろい。なぜその結末になるのかという疑問は、物語の先へと向かわせる原動力になるはずだ。
『アヒルと鴨のコインロッカー』を読み終わってもう一度読み返したくなったのは、それが理由かもしれない。結末を知った後、過程を確かめたいという気持ち。なぜあんな結果になってしまったのか、始まりまで遡って、結末の意味を理解しようとする。

それでも、私はしないだろう。誰かに対してネタバレなんて、おそらくしない。
だって、自分の中の感動を言葉ではうまく伝えられない気がするから。私の言うことを聞くよりも、自分で読んで、見てください。

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