もう時代は令和だよ。

 

 

 

 

人間が作り上げた不純物な灰色の硬い石の道を焦がす程の陽射しが降り注ぐ日々も過ぎ去って、ようやく穏やかになる頃に「地球史上最大の台風」というデマと共に暴風雨がやってきた。

それも過ぎ去って平穏な日常が少しずつ戻ってくる頃、わたしたちは東の都に集まっていた。

腕と背中、そしてフードをかぶれば頭にトサカの生えた、黄色とオレンジ、そして青の三色からなるパーカーをわたしたちはお揃いで着用していた。

カメラマークを刻んだ夕焼け色をした箱の中に写真や動画が溢れ流れている。その中に広告として流れた「恐竜のパーカー」をわたしたちはお揃いで購入してしまったのだ。

「ノリの良さは高校生並みだけど実際はもうすぐ20代後半に差し掛かる人間の集まり」

わたしがそう言うと他の二人は笑っていた。

朝寝坊したためヘアセットに間に合わなかったのか帽子でごまかす綺麗な目にピアスがとてもよく似合う男の子。前回の集まりでついたあだ名は「理性0クソ野郎」である。Rくんである。

3人の中で最も身長が低くそして最も目が細い狐のような雰囲気の男の子。高身長の相手によく「身長分けて欲しい」と言っているので自分が低身長であることはそれなりに気にしている模様。Sくんである。

そして夏の間すっかりだーりんを書くのをサボっていたわたし。さとりである。

端から見たらかわいい男の子3人の集まりのようにも見えるが、パッと見ただけではわからないことがいくつかある。

 

3人は共通して五体不満足として生まれてきたのだ。

まずひとつめに、わたしたちは神様に耳を作り忘れられたこと。

つぎふたつめに、わたしたちは神様に体と心の性の組み合わせを間違われたこと。

 

さとりは生まれてから今まで自分を「おとこ」と思ったことはないし、それが何かの行動のきっかけになることもなかった。

「おとこ」だから仮面ライダーにハマるわけでもなかった。

「おとこ」だからスポーツが好きになるわけでもなかった。

「おとこ」だからジャンプを買い続けていたわけでもなかった。

「おとこ」だから「おんな」を好きになるわけでもなかった。

 

RくんとSくんは自分を「おとこ」そのものだと信じて疑わなかった。小さい頃から見た目も振る舞いも「おとこ」だった。しかし、戸籍上そして身体の性は「おんな」である。

そんなわたしたちは去年の夏に試しに集まってみようということで集まったところお互い境遇が近く話も合いそこからたまに集まっているのだ。

「半分、オトコ。」わたしたちの集まりにそう名前を付けた。

 

わたしたちは東の都にある飛ばない白い飛行船の近くにいる。その飛ばない白い飛行船は野球観戦のみならずコンサートや自転車競技、格闘技などにも使われる白い半球体型の建物である。

初めて見たときに「大きな飛行船みたいだな」と感じた。

その飛ばない白い飛行船の隣に童心を刺激するような魅力的な乗り物がたくさん詰まった遊園地と呼ばれるおもちゃ箱がある。

 

「恐竜コーデで遊園地で遊ぶ」それがわたしたちのミッションだったのだ。

 

長い行列、わたしたちは手話で会話をしていた。そのとき辺りを見渡して気づいたSくんは話を変えた。

「なあなあ、めっちゃ子どもたちが見てくるよな」

言われてみれば子どもたちの視線が痛いほどに感じる。それはこの恐竜という最先鋭的奇抜コーデだからなのか。しばらく会話を続けると子どもたちの視線が服ではなく手であることにわたしたちは気づいた。

「手話‥‥だね」わたしはそう答えを出した。

「まー珍しいもんだね」「そうだな」Sくんはそう続け、Rくんはそれに同意した。

「でも」わたしは思ったことを続けた。「ひとむかしは学校が手話を禁止にしていたところがほとんどだったから、手話を見たことのない子どもが今わたしたちの周りにいる大人たちになっている」

ひとむかしというもののほんの20年以上前ほどの話だと思う。将来のことを考えたら手話は不要で音によるコミュニケーション、口話がメインである社会と戦っていけるように、教育から手話を排除した時代があった。それは耳の機能を備えつけられていない子ども同士のコミュニケーションも然りで耳に頼らなくても会話ができる手話という手段の使用禁止を強いられていたらしい。

子どもたちが楽しく会話する手段のひとつを、大人たちの考えによって奪われてしまったのだ。

 

その時代は15〜20年ほど前から終わりを告げつつある。実際にわたしが幼い頃はまだ手話禁止の風潮が残っていた。

そこから時代の変化はすさまじい。手話言語条例を出した地域が現れた。災害時の臨時放送や国の代表を決める選挙番組に手話通訳がつくようになった。手話を中心に教育をする私立学校も生まれた。手話が日に当たるようになったのだ。

 

「最近街で手話してる人見かけるもんな」SくんとRくんはそうやりとりを交わし、そしてわたしは続ける。「だからわたしたちが手話をしているのを見た子どもたちがテレビやその他いろんなところでまた手話を見て、そして大人になっていくんだよな」

 

「そうなる10年後‥‥20年後はいったいどんな世の中になるんだろうな。きっとそれはすてきなものだよな」

 

二人は同意し、将来に対するささやかな楽しみを見出していた。わたしも楽しみになっていた。どんな世の中になっていくんだろうね。

一呼吸おいてわたしはこう言った。

 

「もう時代は令和だよ」

 

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