「はちまきにとっての別れって、どういうものだと思う?」
別れは寂しい。けれど、別れは出会いの始まりでもあるんだ、と隊長は私に語った。
苦竹駅でみんなを降ろした後、隊長は私を乗せて仙台駅へ車を走らせていく。お別れの時、隊長はひとりひとりにハグした。甥っ子か姪っ子を可愛がるみたいに接してくれる。
「お別れした後も、人との繋がりは心の中でずっと残っていくものなんだと思う」と、私は言っていた。これまでの出会いと別れの数々を思い浮かべながら。
愛知に戻った後も、私は隊長との出会いを忘れないだろう。明神崎からずっと遠く離れたどこかでまた、あの波の打ち寄せる海岸を心に思い浮かべる。隊長や、南三陸で出会った方々みんながそこで生きていることを心の片隅に記憶しながら、私は自分の生活をしていく。
言ってしまった後で、私はどうしようもなく悲しい気持ちになった。
津波で大切な人を失ったら、そういうわけにもいかない。同じ世界のどこかで、同じ時間を今も生きているなんて、それを当たり前だと思ってはいけない。
でもね、例えどんな形のお別れであっても、出会った事実は変わりなく続いていくよ。
隊長に出会ったから、私は変わった。
語り部ガイドをしている隊長と、私は仙台駅であの朝出会った。
日差しを反射して、サングラスが眩しい。なんだかいかつそうな印象とは裏腹に、笑うと目尻にしわが浮かぶ。
やさしい人なんだと思った。
街や海を車で巡った。津波が襲った小学校は、崩れかけた姿のまま、そこにあった。その時何が起こったのか、隊長は事実を語った。とても大事なことを伝えようとしてくれた。
私はその言葉を聞き漏らすまいとじっと耳を傾ける。その多くを聞き取れなかったけれど、それでも私に届いた言葉は、心にじんわり染み渡っていくような気がする。
「毎日、同じように朝日が昇ってくる。それを当たり前だと思うのは間違いだ」
早起きして、岬で日の出を眺めた時のことだ。
「一つとして同じ日はない。一つとして同じ出会い、別れはない」
そう語る隊長は一体どんな気持ちで、この朝日を見つめているのだろう。私はじっと考える。
今日の日の出が私にとって特別な意味を持つものになった。
今日だけじゃない。明日も明後日もその次の日も。
「そういうのを、唯一無二という」
「ある日突然、故郷がなくなったら?自分の住んでいた町に帰れなくなったら?」
言われてみるまで、私はそんなこと考えたこともなかった。
「第二の故郷と思えばいい」と隊長は言う。
私の第二の故郷は、カンボジアとロシアにもある。今日から明神崎もそこに加わった。
いつでも、帰って行ける。
あの海と、やさしい人たちが待っている場所。
私は変わった。
東北に来る前には知らなかったことを今は知っていて、そして隊長という人がそこに生きているということも知った。隊長が伝えようとしたことを、私なりのやり方で受け止めた。
いや、今も、受け止めきれないその大きさを持て余して、こうやって文章に書いている。
ね、私の心の中には、隊長と明神崎と仙台と、あの海の景色……。
それらが今も確かに存在しているよ。出会うってそういうことじゃないかな。
またいつか会いにいくよ。そう約束した。
(2017年9月26日、仙台を訪ねた日の日記)