夢に手足を。という夜をすごす。

考え事をするのが好きです。

デスクトップということばがPCにあるように、あたまのテーブルの上にざっと必要そうなものをばらまくのですね。それを遠くから眺めたり、手に取ったりして、こんなことが言えそうなんじゃないかな?と想像するのはとても楽しい。PCには、RAMとかメモリとかストレージみたいな制限がいくつもある。けれど、頭のなかの机はどれだけ広げてもいい。僕の腕も現実ではありえないくらい伸びて、遠くのものを軽々と手にとったりする。

制限がない、というのはなんと自由なことだろうと思う。そして、同時になんとか弱い行為なんだろうと思うのだ。

か弱い行為とは、地に足がついていない、実行力のない、みたいな言葉でも言い換えられますね。あれをしてみたい、とか、もしこうだったら良いなあとか、想像するのは楽しいよねえ。けど、現実というのは、さまざまな制限が前提として立ちはだかっていて、それを超えるには、けっこう力がいるんだよね。歯を食いしばって重いものを持ち上げたりさ、息をきらして駆け抜けたりさ、持久力も求められたりして、運動が嫌いな僕なんかは、けっこう辛いんだよなあ。

「夢に手足を」なんてキャッチコピーがある。空想を現実のものに、ということだろうね。手足をつけるという行為をないがしろにして、夢をみるだけにとどまってる人は多いんじゃないかなあ。世の中、アイデアや妄想で解決された華々しいお話がいくつもあるものねえ、そりゃあ勘違いもしますよ。アインシュタインは夢のなかで空を飛んでたね。堀越二郎さんも空飛んでいたっけ。ここで大事なことは、彼らは夢をみたあとに、机に向かってペンを握ったことだよね。妄想が、物理公式になったり飛行機になる瞬間です。

俺も、ペンをにぎらなくちゃならんねえ。と思うわけです。というか、会社にいくと握らされるんだよ。夢に手足をはやすという行為はゲロを吐きそうなくらいしんどいんだよ、ってな話をしたくなっただけです。悪しからず。

今晩も、モンエナを飲んで机に向かっています。僕の家の机は150cm×75cm。夢のなかの机よりはずいぶん小さいんだけれど、物を広げるには十分な広さでね、けっこう気にいっているんです。

じゃあね。夢をみるのも惜しんでペンを握るすべての人へ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。