リュウがいることが当たり前の日々②

わたしはリュウをカフェに誘った。

テスト終わったら行こうと思っていたんだよね。駅前の、シフォンケーキがおいしいカフェ。断られるかと思いきや、リュウはヒゲをゆらゆらさせて喜んだ。
「行こう、行こう」
実は歩き出してから不安になったのだけれど、心配はいらなかった。道行く人は角と翼としっぽを生やした大トカゲと高校生のふたり連れをまるで風景の一部みたいに受け入れる。通りを歩いてもカフェに入っても、何事も起こらない。黄色の翼が目立つ青緑のでかいトカゲを、誰も振り返って確かめることをしない。
カフェへの入店を止められることもなかった。店員がリュウのしっぽにつまずいたときでさえ、少しも騒ぎにならなかった。
「失礼しました!」
一生懸命を絵に描いたようなバイトのお兄さんは、本当に申し訳なさそうに頭を下げ、それからしっぽの先から角のてっぺんまでまじまじと見つめた。
「……立派なしっぽですね」
はっと我に返ったように注文を尋ねる。リュウに。
「ブレンドコーヒーを1つと、えーと、そうじ茶?」
「ほうじ茶!」「ほうじ茶ラテでしょうか」
お兄さんとわたしの声がハモった。視線が合う。お互いに目をパチクリさせた。なんでカフェにリュウがやってきて、普通に注文なんかしているんだろう。そんな風に。
「これ、いい香りだ」
長いしっぽを行儀よく椅子の背もたれに引っ掛けて、リュウは運ばれてきたカップに鼻を寄せた。それから大きな口でほんのちょっぴり舐めた。
「悪くないね」
どうやらお気に召したようだ。リュウの気分を反映してか、ふわふわとヒゲが動き出す。
「ミルク入れる?砂糖もあるよ。砂糖壺のスプーンですくって、コーヒーについてきたそれでかき混ぜるの」
コーヒー初心者にあれこれ勧めておいてから、わたしも自分のほうじ茶ラテに砂糖を混ぜた。香ばしいお茶のかおりに癒される。残念ながらわたしにはコーヒーの味はわからないけれど、ラテは好き。ほうじ茶があれば言うことなしだ。
気持ちを落ち着けたところで、先ほどから気になっていた疑問を口に出した。
「どうしてみんなびっくりしないんだろう」
「びっくり?」
「きみのこと。驚いても不思議はないのに」
「とけこむ魔法」とリュウは答えた。「物事を穏便にするために、ちょっとした魔法を使ってる」
魔法!!!
わーお。
わたしもきっと魔法にかかっているんだな。どうして大トカゲと普通にカフェでお茶なんかしているのだろうかなんて、少しも変に思わないのはそのせいだ。
「その魔法を使うと、リュウがそこにいることが、当たり前のことのように見えるよ。目立たず、違和感なく、自然に、風景の一部になってしまう」
景観に合うようカモフラージュされた自動販売機みたいなものだろうか。自動販売機は現代的な機械であることに変わりないけれど、渋い茶色に色を塗れば古都の街並みにとけこんで見えなくもない。
「他にも魔法を使えるの?火をふいたりとか、ものを消したりとか?」
わくわくして尋ねたのだけれど、リュウは首を振った。
「火なんて吐かないよ。ところで砂糖はどれくらい入れたらいいの?」真紅の爪の間にティースプーンをつまんでリュウが尋ねる。
「好きなだけ入れたらいいよ」
1杯、2杯、3杯。なんだか、理科の薬品でも扱っているみたいだ。リュウは細心の注意を払いながらスプーンで砂糖を運んだ。緊張しているのがヒゲの震えから伝わってくる。
「あまい」
表情からは相変わらず何も読めないけれど、ヒゲは心なしかさっきより一段低い位置に来ていた。
りゅうのひげ。なんてわかりやすいんだろう!
「リュウはどこから来たの?宇宙?」
「いやいや、生まれた時からずっと地球に住んでいるよ」
「いま何歳?」
「3歳」
わたしは、甘いコーヒーを少しずつ飲むリュウをしげしげと眺めた。3歳って大人?子ども?
「リュウの寿命ってどれくらいなの?」
リュウは瞬きした。ひげの動きが一瞬止まる。「さあ、そんなの誰にもわからないよ。自分が何歳まで生きるかなんて」
「どこかに仲間がいるの?」
「うん、どこかに仲間がいるよ」
どこかは知らないけど。
という言葉が続きそうな気がしたけれど、代わりに質問された。
「さつきには仲間はいるの?」
「なんでわたしの名前を知ってるの?」
「テストの答案に書いてあったから」
なるほど。人のテストを覗き見したらわかってしまうよね。
仲間。
自分で使っている時にはなんとも思わなかったものだけれど、いざ聞かれると答えるのを躊躇してしまう。このカフェの店員や客もわたしと同じ人間であるのに間違いない。日本語が通じる、同じ町に住む人間。でも一度も言葉を交わしたことはない。仲間と言うより他人って感じだ。リュウはいったいどういう意味でこの言葉を使ったのだろう?
「仲間って何?」という疑問の沼にはまりかけたわたしは一旦思考をストップさせた。
「つまりわたしが聞きたかったのはね、リュウと同じ姿をしたリュウの仲間がいるんじゃないかってこと。わたしの仲間のことはちょっと置いといて」
「どこかに仲間がいるよ」リュウは同じ返答を繰り返した。「会ったことないけど、テレパシーを感じるから」
わーお。
魔法の次はテレパシーときた。会ったこともないのに、テレパシーだけで存在を信じられるなんて、このリュウはひょっとして頭がいかれてるんじゃないのかな。そんなことをわたしは心の中で思った。
「ひょっとしてわたしの心を全部読める?」
「ううん、言葉に出さなければわからない。聞こえてきた音声をリュウの言葉に翻訳して、理解しているんだ」
それはありがたい。
「リュウの言葉ってどんな言葉?」
「……なんて説明したらいいんだろう」
ひょろ長い首を傾げた。考える時の仕草って人間と同じなんだな。
「人間には認識できない方法」
「声は使わない?ボディランゲージ?」
「聞いたり見たりしない言語。ちゃんとした言葉が見つからない時も、ちゃんと伝わるんだ」
へえ。要するにテレパシーってことだな。
「ところで、どうやって声を出してるの?」
「リュウの口のつくりは人間と違うから、声で伝えるのは難しい。テレパシーを人間の言葉に翻訳してそれから、脳に向けて信号を出す。そうすると人間の頭の中で聞こえているように感じるんだ」
それもテレパシーではないのかと思ったけれど、リュウの説明によるとテレパシーは言葉ではないものらしい。
わたしはリュウの「仲間」について再度考えた。手に取るように心を分かり合える存在だからこそ、仲間だと信じられるのかな。
ところがリュウは言う。
「テレパシーだけで話していると、時々不安になるんだ。いま会話しているのは自分の頭の中だけで起こっていることで、本当は仲間なんてどこにもいないんじゃないかって」
ふむ。仲間と感じられるには、やっぱり物理的な近さも必要なのかもしれない。
「だからどこかにいる仲間を探してみようと思った」
「どこか、ってわかるの?」
「それが難しいんだよね。言葉を介さないテレパシーだと地名がないから」ひげの先がゆらりと下を向いた。途方にくれているみたいに。
「テレパシーの世界で生きていると井の中の蛙になるんだよ」
想像もつかない。
「本とかテレビとか新聞はないの?ネットはしない?」
「まさか。そんなの人間のいる町にやってきて初めて知ったよ。コーヒーとかそうじ茶もない。時間と場所の概念もない」
「ほうじ茶ね。ほかのリュウは人間のことを知らない?」
「知らないと思うよ。洞窟の暗闇の世界しか知らない」
暗闇の世界。いよいよ想像もつかない。洞窟の中のリュウたちはテレパシーでいったい何を話すのだろう。とてもとても気になる。
「洞窟を出たリュウは1人だけなの?」
「実は洞窟を出るとテレパシーが通じなくなってしまう」
なんと。ケータイの電波とは逆の仕組みになっているみたいだ。
「3歳ってことは、洞窟を出て3年目ということ?」
わたしの問いにリュウは頷いた。
「洞窟を出て、自分がいかに世界を知らなかったかということに気づかされた。あの暗闇の中に何年いたのかさえわからないだから。実はもう元いた場所に戻る気はないんだ。そんな暇があるならもっと勉強したいから」
「勉強熱心だね」
言ってからわたしは苦い気持ちになる。
勉強。私が世界で一番大嫌いなもの。もちろん、リュウの言う「勉強」と、わたしがいやいやしている「勉強」は、月とすっぽんくらい違う。だってまさか毎日問題集を解いたり、テストを受けたりしたいなんて、少しでも知性ある生き物なら言うはずないだろうから。
「わたし、リュウになりたいな。洞窟の中に引きこもって一生を終えられたらいいのに」
そんなことを私が言ったら、リュウはどう思うのだろう。
「勉強熱心なのはさつきもじゃないか」とリュウは言う。テストのことを言われるのかと思ったら、そうではなかった。
「リュウについて質問ばかりしてるよ」
リュウはカップを持ち上げると、慎重に一口飲んだ。もう冷めてしまっているはずのコーヒーを珍しそうに飲む大トカゲ。わたしはそんな生き物のことが気になって仕方ない。よくわからない存在。いいやつなのか悪いやつなのか、それすら知らない。初対面の、それも人外の生き物にわたしは誰にも言わなかった秘密を打ち明け、あまつさえカフェでお茶なんかしてる。変なの。でも、悪くない気分だ。

名前を尋ねたら、「リュウ」と答えが返ってきた。リュウ以外に、リュウと呼ぶべき生き物をわたしは知らない。だからリュウと呼んでもとくに不便はないだろう。

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