1月は淡々と過ぎていった。26年間一度もうまくコントロールできたことがない暴れ馬のような精神を、ここ最近は自分でも信じられないほど、なだらかな状態に維持できている。「延期」、「中止」、「閉鎖」、「制限」、そうやって世の中が失速していくにつれ、水を得たように息の仕方を体得する。
職場は客足が減り、相対的に業務量が減った。”代わる「何か」を始めなくては、我々も今に食い扶持を失う” 今はただそんな声だけが疎ましく、いやそれはそれでもっともなのだけれど、その「何か」を始めてしまえば、私は再び酸素を失うことになるのだと、あまりに身勝手で狭量で感覚的で盲目的な、子どもよりも子どもじみた壊滅した理屈で、一瞬人を恨みそうになる程度だ。耳にイヤホンをねじ込んで、ブラジルのポップミュージックを濁流のように流し込む。
私の定め/死滅への思慕
神様のことぎれ/甘美なオレンジ
晴れ間に吹きぬけていった、清々しい風のような音楽にも、明るいようで仄暗く、暖かいようで背筋に冷たい真意がある。たったそれだけのことが、明らかに私を支えている。
外の空気がよく冷えた日は、人気のない夜道をマスクを外してひたすら歩く。街の匂いという匂いが凍りついて、まるで世界が清潔であるような気がする。つららのように鋭利な冷気が、身体から不格好にはみ出た耳や鼻や指先を引き千切ろうとするのを、私は黙って耐えて歩けばいい。短い冬の厳しさだけが、私の理由なき罪悪感に、贖罪のチャンスを与えてくれる気がする。全部が全部「気がする」だけで、実際には世界も私も何1つ変わらず、変えられず、あるいはもっと悪くなっているというのにね。
歩き疲れて家へ帰ると、愚痴とため息とでできたようなくたびれたエッセイを読んで、知らない間に眠りに落ちる。明け方自然と目を覚ますと、暖かい布団の中で下ネタと自虐と下世話な世間話でカラカラと笑うだけのラジオを聴きながら、何のためでもなく、誰のためでもなく、ただ思いつく限りのありとあらゆる嘘でできた、愉しい絵日記をつけている。
私はあの病気が怖くないわけじゃない。とても怖い。けれど、「どこへも行けない」「なんにも出来ない」「だれにも会えない」この不自由は、どうして私に、こんなにも心地よい自由を感じさせてくれるのだろう。どうして私は今、こんなにも健康でいられるのだろう。
昨日、見知らぬバスで見知らぬ人たちと、それぞれの見知らぬ土地へ静かに向かう夢を見た。口にこそ出さないけれど本当はそのまま、どこへ辿り着けなくてもいいような心地でいたのは、移ろう景色がただそれだけで、もう十分に綺麗だったからだ。私たちはバスの窓を開けて、金色の粉みたいな朝の光と、汚れた顔をやさしく拭ってくれるような水水しい空気とで、世界がじんわりと満たされていくのを見ていた。本当はそれだけでよかった。身に余る幸福だった。その後黒い袋をかぶった何者かがバスへ乗り込んできて、そこで私たちはみな殺されてしまうのだけれど。