リュウがいることが当たり前の日々④

とぼとぼと重い足を引きずるように中庭へと向かった。

ソテツの葉陰でベンチに座ると、ようやく息をつける心地になる。お昼休みの中庭は、いわばわたしの避難所なのだった。教室の埃っぽい空気と喧騒がわたしは苦手だ。人通りの少ない中庭にも、窓から小さく話し声が漏れ聞こえる。
弁当箱の蓋を開ける。おかずは保冷剤の下で冷たくなっていた。卵焼きとレタスとミニトマトと黒豆。卵焼きだけは自分で焼いた。ほかは洗ったり切ったりして詰めるだけ。毎日代わり映えしない簡単なものだけれど、お腹が空いている時にはなんでも美味しく食べれてしまうから不思議だ。
食べ終えるときちんとランチクロスに包んでしまった。それから文庫本を開いた。『農ライフ、農ガール』。リストラされて農業を始める女の人の話だ。
農業。いいかもしれない。
自給自足の暮らしができたらいいな。そしたら、自由に生きていける気がする。
高校を中退し、農業セミナーに通い、農地を借りて、ナスやトマトやピーマンを育てる生活を脳内で夢想していた時、突然話しかけられた。
「さつき!お願いがあるんだ」
昨日のことがあったから、リュウかと思った。でも違った。
まず目に飛び込んできたのは白いセーラー服と黒いツインテール。小麦色に焼けた肌がスポーティな雰囲気を醸し出している。事実、美紅先輩はとてもテニスがうまいのだ。
「よくここがわかりましたね」
リュウといい、美紅先輩といい、どうしてこの場所を見つけ出せるのだろう。これまでずっとこのソテツはわたし1人のために葉っぱを広げて外界から隠してくれていたと思っていたのに。
「2階の窓から見下ろしたら、すぐにさつきだってわかったよ」
確かに、パラソルというには葉っぱの長さが足りていない。上から見たら丸見えなのかもしれない。
「一緒にパネル責任者をやってほしい!」
美紅先輩は私の前で両手を合わせた。
てっきり部室の鍵を開けておいてほしいとか、そういうお願いかと思っていたら、パネル?
「パネルって、何ですか?」
「体育祭のパネル!2年と1年から1人ずつって決まってるんだけど、4組ならさつきがいると思って」
わたしの通う高校の体育祭は1〜3年までクラス対抗で競技をする。4つのクラスが白虎、玄黄、青龍、朱雀のチームに分かれるのが伝統なのだそう。なぜ玄武ではなくて玄黄なのかはよく知らない。たぶん、黒のハチマキだと髪の色と同化してしまうから、黄色にしたかったんじゃないかな。
「4組だと青龍チームでしたよね?」
青いハチマキが配られたのを覚えていた。
「そう!うちらのチームは青龍じゃん?青い龍のでっかい絵を作って、体育祭の間、自分たちの陣地の後ろに飾るわけよ。それがパネル」
なるほど。
「でも、」
わたし、絵が下手ですよ。そう言って断ろうと思ったけれど、まるでそれを見越したように言われてしまう。
「絵の上手い下手は関係ないよ。クラスでデザインを募集して、多数決で決めて、あとは制作の指示を出すだけ!何にも難しいことはないから」
長いまつげの下のぱっちり二重には恐ろしいほどの目力がある。あんまり真剣に見つめられて、つい、頷いてしまった。
「やったあ!よろしくね」
美紅先輩はわたしの手を取ると、がっちり握りしめた。逃げ場をなくしたハムスターにでもなった気分だ。
「じゃ、授業後に第1回責任者会議するから、その時に」
美紅先輩は来た時と同様、風のようにすばやく行ってしまった。スカートからのびるすらりとした足が、渡り廊下のコンクリの床を蹴って軽い音を立てる。
部活はどうするのだろう。体育祭の準備のためならさぼってもかまわないのだろうか。頭の片隅で、そんなことをわたしは気にしていた。

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