「あなたの長所・得意はなんですか?」
「他の人には負けない強みはなんですか?」
長所というのは、考えずとも自然にできてしまう。あるいは、意識して力を入れていることも強みになるかもしれない。
その問いに私はうまく答えられない。でも面接で聞かれたらどう答えよう。考えに考えた結果、思いついたのは、「毎日の生活をきちんとすること」。
朝起きて、朝食を食べ、洗濯物を干し、埃が気になってきたら部屋に掃除機をかける。買い物に行き、料理をする。そういうルーティンをこなすことには自信を持つことができる。私にとってはとても大切なことだから。
「でもそれは当たり前のことでしょう」
と言われてしまえば、返す言葉もない。
毎日の生活以外で自信を持てることをあまり思いつくことができない。例えば、絵を描くことや文章を書くことは好きだ。でも得意とは違うような気がする。そこには努力がない。ただ好きでやっているだけだ。
時間をかけてずっと続けてきたことなら、信じられるような気がする。英語なんかがそうだね。中1から数えると8年間ずっと勉強していることになる。英検を受ければ目に見える結果となってわかる。
それから、手話も。手話を覚え始めたのは大学3年生の時だ。以前の自分と比べたらずっと手話で話せるようになった。
パソコンのタイピングスキルやパワポ作りもある程度は身についているはずだ。コミュニケーション力やプレゼン力も、たぶん。でももともと全くできなかったから、得意ではない。
人と仲良くなることも、面白い話をすることも、人と関わることで相手のやる気に火をつけることも、もっと上手な人が他にいる。自分の得意を全面に押し出すことのできる人はやっぱり素敵だなあと思う。一人一人得意が違っている。だから、一緒に働くことができるのはとてもありがたいと感じる。
同じようにはできないなあと思いながら、自分は自分でできることを見つけなければいけないのだろう。
私ができることは?
何も思いつかない。困ったな。
もしかしたら私は、何かを得意な自己イメージを持ちたくないのだろう。
「〇〇が得意です」
と一旦言葉にしてしまえば、それはイメージとして自分について回る。私は何者でもない自分でいたい。
「早起きが得意な人」
「物事をじっくり熟考できる人」
「相手の話を丁寧に聴ける人」
「提出期限をきっちり守れる人」
ほらね。言葉は自分を縛る力を持つ。
それらを長所と言えるかもしれないけど、常に上手くできるわけではない。
もし「早起きは得意です」と言ったなら、寝坊できなくなってしまうじゃないか。どんなに一生懸命相手の話を聞いても、きちんと理解できない時はある。提出期限に間に合わないことだってあるかもしれない。
そして「何かを得意である」と言うことは、たくさんある中の一つを選んだに過ぎない。何かを「長所」と決めてしまえば、別の何かを不意にしてしまうのではないか。
どんなことでも長所になる可能性はある。例えば「今日からコミュニケーション能力を磨こう!」と決めたら、そのうち人と話すのが上手になるかもしれない。
「得意」「長所」という言葉には、満足感がつきまとう。もう十分上手くできるよ、と言えることは私にはない。
私には足りない部分ばかりだ。まだずっと努力していたい。もっと上手くなりたいという目標をずっと高くに持っていたい。
それが長所なんじゃない?現状に満足せず、努力し続けられること。
といっても、めちゃめちゃ頑張っているわけではないけどね。私にできるのは毎日の生活を大切にすること。反省することは毎日尽きない。とてもとても小さなことだ。例えば「これをやる前にあれをやればよかった」とか、「時間配分をもっと工夫できたのではないか」とか、「もっと違う言い方をできたらよかったのに」。そういった反省はあまりにも些細なことだから、すぐには大きな変化を生まない。それでも時間をかけて繰り返すうちに、少しずつ生きることが上手になっていると思う。