シェアハウスで暮らすようになって、私は前よりも幸せだと感じる。
就職する前、学校に通っていた頃は将来のことが不安でしかなかった。もし住む家がなくなったら、生きるために必要なお金がなくなったら、どうしようって。今すぐでなくとも、いずれは卒業して自分の力で生きていかなければならない。果たして自分にそれができるのだろうかと心配で夜も眠れなかった。
働くことが怖かった。だから、山の中で自給自足の暮らしをしたいと本気で思ってた。
誰かに依存しなくてはいけなかった時よりも、自分で働いて暮らしている今の方が、しっかり幸せをこの手につかめている感じがするんだ。今も先のことなどわからないのは同じけれどね。病気になるかもしれないし、事故に遭うかもしれない。何か重大な失敗をして、大事なもの全てを失うかもしれない。
それでも以前と違って、私は自分の力で生きていく力があることを知っている。何が起きるかわからないけど、なんとかなるだろう。そんな度胸をいつの間にか身につけていた。
といって、自信などないよ。生活がきちんとできることと、仕事ができるというのは別問題だ。毎日毎日、これでいいのかなと思いながら働いている。
恐らく、正解なんてないのだろう。少なくとも教育に関しては、「このやり方をすれば、これだけの結果が出る」というものではないはずだ。これでいいのかわからなくても、自分が信じるベストを尽くすしかない。どうしたらより良い授業ができるだろうと、考え続ける。
「教員の仕事は、やりがいを感じにくい仕事だ」
その言葉を聞くたびに、本当にそうなのだろうかと私は首を捻る。
今はなんでも初めてのことばかりだからね。一生懸命やってさえいればだんだん上手くなれるだろうと信じている。その間はやりがいを持ち続けていられるだろう。
でもいつか本当に自信がなくなってしまったら?
教育の効果はすぐに表れるとは限らない。自分の仕事の意味が感じられなくなってしまったら、壁にぶつかるかもしれない。なんのために働いているのだろう、って。
思うに、やりがいを感じなくなるというのはつまり、自分の成長を信じられなくなるということなんじゃないかな。
今私は、自信がないなりに、それでも幸せに働いている。それはきっと自分の成長を信じているからだ。「自信がない」と感じるのは、今の自分の働きに満足していないという意味であって、「できない」と思っているわけじゃない。「できるかどうかわからないけど、でも挑戦したい」という、どちらかと言えばポジティブな気持ちだ。
挑戦し続けても結果が出なければ、自分には無理だと諦めたくなるかもしれない。まだ結構先のことだけどね。挑戦は始まったばかりだから。いつかぶつかるかもしれない壁の存在を今からなんとなく予測する。
いつかこの先、もうこれ以上は自分には無理だと感じたら、その時はどうしたらいいだろう?
「今できることをする」
わあ…。先週見たアナ雪のセリフと同じ結論になってしまうけど、意図したつもりではないよ。
その状況になってみなければわからないけど、例えば新しく勉強を始めるとか、誰かに相談するとか。幸いなことに今の職場には相談できる人がいる。
そういえば、働き始めたばかりの頃はシェアハウスの友達にも、色々話を聞いてもらっていたなあ。「そんなの心配しないでいいよ」と明るく笑って言う彼女に、すごくパワーをもらっていたのだった。自分ひとりで生きているようでいて、実はひとりではなかった。
先のことなんてわからない。心配してもしょうがない。
どんな時でも、変わらない毎日の暮らしを大切にしたい。それが今の私にできることだと思う。朝起きて朝食を食べること。時間に間に合うように出勤すること。休みの日には散歩に出かけること。時々は絵を描いたり、テニスをしたりする。しっかり眠って、きちんと食べて、たくさん笑って、そういう時に生きていると実感するんだ。
住む家があって、生活に困らない程度に収入があれば、きっと大丈夫。どこでも生きていける。