スウィート・ホーム

私がこのシェアハウスに引っ越してきたのは去年の5月だった。だから結局、住んでいたのは1年半ほどだ。

シェアハウスの良いところは、家具も家電も生活に必要なものが初めから揃っていることだ。私の部屋には机とベッドと、壁に取り付けられた棚がある。押し入れはないけれど、引越しの時に持ってきた大きなスーツケースを衣替えのたびに開け閉めして、それで事足りた。自分で持ち込んだ家具といえば、3連になっているカラーボックスだけだ。住み始めた時から「ここには長く住まないかもしれない」という予感があった。次またいつ引っ越すかわからない身には、シェアハウスは都合の良い物件だった。
決して居心地が悪かったというのではないよ。むしろ心安らぐ空間だった。日差しを和らげるグリーンのカーテンも、傘のついた少々暗い照明も、部屋のあちらこちらを飾るドライフラワーも、ほっと心を和ませてくれた。実際、うちに友達を呼ぶたびにみんな眠気を催してお昼寝したくなってしまうのだ。
カーテンその他の調度品もろもろも元からあったもの。住む人に対する心遣いが嬉しい。

それから、ハウスメイトとの出会いも記しておこう。彼女は、私より1ヶ月遅れて引っ越してきた。関西出身の彼女は、自分らしさを全面に押し出していく、ハッキリした性格の人に見える。個性派ファッションにキメ、髪もオレンジか緑か赤に染めていた。パッと明るい色が似合う。一旦話し始めると、どんな話題であろうと関西弁で全てを笑いに変えてしまう。
押しの強いタイプとは違う。人付き合いに関してはとても気を使っていたのを感じた。彼女は元来おおらかで、例えばゴミをだすのを忘れてしまったりする。それでも私が燃えるゴミを毎週きっちり捨てるものだから、資源ごみの日を忘れてしまって申し訳ないと感じてしまうみたいだ(燃えるゴミは私、資源ゴミは彼女という分担になっていた)。そんなの全然気にしないでいいのにと私が思っていても、わざわざ謝りの言葉を伝えてくれた。
お互いの生活リズムには干渉しないことが暗黙のルールのようになっていた。お風呂と料理の時間が重ならないように上手くずらして調整してた。それは相談して決めていたわけではない。「あ、今使っているからごはんは後にしようかな」とか、「まだ帰ってこないな。じゃあ先にお風呂に入ってしまおう」というように、気を使いすぎない程度に譲り合っていたのだと思う。一緒に暮らす間に、呼吸するみたいに自然と相手のタイミングをはかる術を身につけていた。

ところで、私たちが住んでいた部屋は5階だった。晴れた日には玄関から夕焼けを眺めることができた。
「きてきて!」とハウスメイトに呼ばれた時、私は補聴器を取ったままだった。シャワーを浴びた後で髪が濡れていたから。私が聞こえないことを知っていて、彼女はいつもゆっくりしゃべってくれる。あるいは、多くを語らず黙っていてくれる。玄関前でピンク色の夕焼けを一緒に眺めた。流れ星みたいに尾を引く飛行機雲が少しずつ空を横切って、やがて見えなくなるまで。
それからもう一度、2年目の秋のある日、外から発砲音のような物音が聞こえてきた時があった。とても大きな音だったから、近くでテロでも起きたのかとドキドキしたんだよね。でもハウスメイトが私を呼んで、空いっぱいに咲く花火に気づかせてくれた。ビリビリと空気を震わす花火の音には迫力がある。あの空とこの場所との間にはずっと距離があるはずなのに、こうして光と音が届いてくることに不思議な感銘を覚えた。
リアルな時間を共にしている。「おやすみ」と「いってらっしゃい」。向こうの部屋と自分の部屋。この距離感がちょうどいい。

休みの日にはひとりで散歩に出かけた。早起きした朝やすることのない退屈な午後、足の向くままに歩いた。森の中にはいく通りも道が通っている。引越しして間もない頃、毎週のように新しい道を見つけては探検したものだ。森も池も広場も、今やまるで自分の庭のように知り尽くしている。
なんといっても歩きやすいのがすばらしい。階段や小道はきちんと整備されている。道があるから人がそこを通る。人が通るからそこに道ができる。人々の忙しない歩みでさえも、ある意味自然の一部なのかもしれない。
毎日森を通って通勤した。坂道を自転車で漕いで行くおかげで足が鍛えられた。灯りのない森の中は日が暮れると本当に真っ暗になる。仕事が終わって帰る道すがら、空を見上げると星が瞬くのが見えた。春も夏も、秋も冬も、いつもすてきだった。
おすすめは、ここら一帯のお墓を一望するスポット。夕方訪れると滑らかな墓石の表面に反射する光がなんとも言えない光景を作り出す。怖さはみじんも感じない。願はくは、私もこんな穏やかな場所で眠りたい。

ただ歩いているだけで、いくらでも感動する景色に出会う。心ゆくまで外の景色を楽しんだ後は、家に戻って絵を描いた。
夢中になっていると気づかないのだけれど、絵の中には無意識のうちに自分の心が映し出される。光と影とは、じっくり時間をかけて向き合う必要があるのだと最近は考えるようになった。

たった1年半。
ずいぶん長いこと暮らしてきたような気がする。いつかこの先、時間が過ぎるうちに私はこの家で過ごした日々のことを忘れ去ってしまうかもしれない。部活の前の着替えや、朝食にかじるトーストや、プレゼントを開いた後の包装紙なんかと同じようにね。でも本当に懐かしくなるのは、なんでもない一日一日を過ごしていたことだったりする。
ああ、私は今生きることに幸せを見出しているんだな。なんの悩みもなく、不安もなく、失うものもない。いつか将来、この幸せを感じられなくなってしまう日が来たとしても、思い出の中へいつでも帰ってこられるように文章に残しておこう。

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