発音がきれいですね

英語の発音を褒められたらもちろん嬉しい。しかし、例えば英語のネイティブに対して、「あなたは英語の発音がきれいですね」と言ったりするだろうか。

言った本人からしてみたら誉めているつもりなのだろうけれど、言われる私は上手くそれを受け止められなかった。私がしゃべっているのは英語ではなくて日本語なのに。
受け入れがたかった、とも言える。
自分では正しく発音しているつもりだった。自分の発音がおかしいなんて、人から指摘されるまで知らなかった。自分の発音の不自然さに自分で気づくことができない。

事実、私の耳は聞こえない。けれども、私は聞こえる人と同じように振る舞おうと努力していた。
だから、多少発音に不自然なところがあったとしても自分でそれを認めたくない気持ちがあったのだろう。人から「あなたは聞こえる人ではない」と突きつけられるのはかなりショックだった。

今ではもうすっかり自分の中で認められるようになったけどね。
時間をかけて、自分が聞こえないということを認められるようになった。人から言われ続けるうちに、だんだん慣れた。
時が経つにつれて、私自身、正しい発音がよくわからなくなっていく。しゃべっていて、自分の声がよくわからないんだ。
特に難しいのは、さ行とだ行だ。例えば、発音しづらい、っていう時の「しづ」とか。

まずは自覚が必要かもしれない。自分が聞こえていないこと、そしてうまく発音できないという認識。
私は聞こえない人として生きていく。その覚悟を決めたのも結構最近のことだったりする。

そして、認めることと、直すことはまた別の問題だ。
私は努力の限界を感じた。というか、努力の必要性を理解できなかった。
そんな些細な違いなど、直す意味あるの?日本語として理解できる発音なら、問題ないじゃん?

日本語よりもむしろ英語の方が自信を持ってしゃべれそうだ。
英語なら外国語として、完璧な発音を求められない。発音がきれいかどうかよりも相手に伝わるかどうかの方が大事だからね。

大学の講義で発音の練習をしたことがある。
発音は調音位置によって分類される。まず子音は、唇や舌の位置、口蓋の位置によって異なる発音が作られる。さらに有声音か無声音かに分けられる。
一方、母音は基本、「ア」「エ」「イ」「オ」「ウ」の5種類。さらに短母音と長母音。言語によっては「ア」と「エ」の中間とか、「イ」の口して「ウ」という発音とか、どうとでも聞こえる曖昧母音なんかもある。
専門用語盛りだくさんの説明を聞いても、初めは全く理解できなかった。実際に練習してみると「こういうことかー」と、だんだん意味がわかってきた。テキストの図を見ながら、パソコンに繋いだマイクに話しかけて、音声の図像解析ソフトで自分の発音をチェックした。
その講義のおかげで、私の英語の発音は確かに改善されたと思う。r と l の違いもわかるようになったし、th も、f も v も言えるようになった。better や water と言うときの、 r のように聞こえる t の発音も。

英語はわかるようになったらうれしかったけど、日本語は、別に。努力して話せるようになったわけではないし、多分これからも頑張らない。

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