そばにいると、人柄の良さはわかるものだ。

ぴったりサイズの黒い服も、まっすぐな背中も、パスタを食べる時のフォークの使い方も、全て真似したくなる。
彼女は、物事を誰のせいにもしない。自分のせいにもしない。「これはそういうことなんだ」と受け入れて、前を向いて生きていく。私の憧れる姿そのものだ。

特に、彼女の話し方が好きだ。穏やかで、どこか懐かしい…。
それは、日本語を話している時でさえ、ロシア語のようなイントネーションがあるせいなのかもしれない。
そんな風に言葉で表現してみるのは簡単だけれど、実はとても難しいことだ。ロシア語は途切れなく堂々としゃべるもので、ともすればマシンガントークのようになりがちだ。
彼女の声は花びらのようにやわらかい。白い花びらがたくさんはらはら落ちていく。1枚1枚の裏側に涙や喜びや、努力や忍耐なんかが詰まっている気がする。でもそんなこと感じさせないくらい、ふんわりしているんだ。どんなに降り積もってもまだ足りなくて、ずっと聴いていたい気持ちになる。

ずっとバレエ一筋に生きていく、
ってどんな感じなんだろう。

「今まで恋愛なんてしたことなかった。でも、この人と出会った時、初めてこんな気持ちになった」
「今までは幸せになりたい、幸せにしてほしい、と考えていたけど、この人を幸せにしたいと思った」

それを聞いた時、幸せは自分で選ぶものなのだと気づいた。
誰に対しても同じように幸せを分けてあげることはできない。「この人でなければいけない」という特別な気持ちに、幸せはあるのかもしれない。
劇場で大勢の人々の前で踊る彼女の言葉だから、なんだか不思議だったんだよね。

この出会いは本物だ。
この気持ちは本物だ。
信じているから、続いていくのだろうな。

5年前、クラスノヤルスクで私たちは初めて会った。思い出すのは、真っ白い半紙の上に書かれた、柔らかくてつよい文字の形。
日本センターで、日本文化のイベントがあって、そこでロシア人に向けて習字を披露した。といっても、習字の達人なんかではない私たちは、使い古されてボサボサの筆を握り、それらしく日本語の文字を書くだけで、お客さんに喜んでもらえた。
お客がいなくなって暇になった時、彼女は、
「道」
と書いて私にくれた。
「自分の道を進んでね」
なぜ彼女は私にその文字を選んでくれたのだろう。私は自分の「道」を彼女に話したことはなかった。自分でも自分の未来をはっきり描いていたわけではなかったのに。
あの言葉をもらった日からずっと、道は続いていたんだなと今思う。
もらった文字は残念ながら、帰国する時に他の教科書や教材プリントと一緒にどこかへ失くしてしまった。幻のように、心の中だけで記憶が残っている。
彼女は覚えているのだろうか。

「不思議だな」と彼女は言った。
しばらく会っていない間にもお互いの物語は進んでいて、全然別々の道をたどっているはずだった。どうして今日会おうなんて思ったのだろう。わからないけど、会えてよかった。

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