Give Up

このところ、夜寝ようとすると涙が出てくるんだ。なんで泣いてるんだろう、って自分でも理由がわからなかった。でももう、無理みたい。

今、くるしい。
頑張りたいというよりも、やらなくてはいけないという気持ちで動いている。「少しずつできるようになればいいんだよ」「そのうち慣れたら楽になるよ」って、自分を騙し続けても、もうダメだと思う。

仕事のことが嫌いになったわけじゃない。頑張りたいという気持ちは今まで以上にある。新しい目標もできたんだ。
「今までの1万倍、自分から積極的にコミュニケーションする」
今までの自分を変えるいい機会だと思った。張り切って人に声をかけまくっている。

問題は、疲れてしまったことだ。
起きている時間の全てを労働に費やしていたら、自分は何のために生きているのだろうかってわからなくなってしまった。朝洗濯をほして、ゴミを出して、遅くまで働いた後、夜ご飯を作って、洗濯を畳んで、毎日イライラしながらそれをやるのだ。掃除もしたいけど、やってられないわ、って。
こんな奴隷みたいに生きるのは嫌だ。

他の人がどんなにたくさん働いていても、私に同じことは無理だ。私が大切にできることには限りがある。認めなければいけない。
このままではいけない。このまま続けたら、鬱とか、不登校みたいなことが起こってしまうぞ。
社会人になったら、なんと言えばいいのだろうね?働きたいと思うのに、欠勤してしまう状態?自分で休職するから、「不通勤」なんて言葉は言われないのか。

どうしよう。誰かに相談する?誰に?
顔が浮かぶ。こういう時に頼りにできるのは、仕事にも家のことにも直接関係ない第三者なのかもしれない。
それから、今の自分が受け入れられそうな条件を考えた。
例えば、◯曜日はどうしても定時に帰る。
週3日は料理をしない日にする。洗濯の頻度を減らす。掃除は土日でやる。
それは諦め?なにか、大切にしたかったものがぎりぎりと音を立てて削りとられていく。仕方がない。そうしなければ削られていくのは自分の精神だ。
今はどうしようもない。いつかだんだん効率良く働けるようになって、きちんと自分の暮らしも守れるようになればいい。

従兄弟が結婚した。今日、結婚式だったんだ。すごく素敵な、心温まる式だった。
人間は禁断の果実を食べたから、エデンの園を追放されて、労働の厳しさを知った。と神父さんは言っていた。でもそれは悪いことばかりじゃない、と。労働の厳しさだけでなく、お互いに愛し合うことも人間は知った。
ひとりで生きていくのは厳しいから、人は愛を求めるのか。
結婚するって本当にすごいことなんだなあ。おめでとうの気持ちと共に、そう思った。
子どもの頃の遊び相手だった従兄弟が、すっかり大人になって見えたけど、彼もまた必死に生きるひとりなのかもしれない。一緒に生きていきたい人がいるから。

最高に幸せな日でも、夜には心が暗い。
私は別に、生きていたいわけじゃない。生まれてきてしまったから、仕方なく生きているんだ。
そんなネガティブな思いはずっとある。どんなに今を生きることに一生懸命になっていても、いつか必ず終わりがやってくる。生きていてもなんの意味があるんだろう。
仕事でも家でも、せっかく大切にしたいものを見つけたのに、私にはどちらも守るだけの力がない。それが悲しい。

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