いちばん好き

ちいかわの中で一番好きなキャラは誰かと聞かれて、いないと私は答えた。
ウサギが好きなその人は、ウサギのグッズばかり集めてる。バッグにマスコットにTシャツにキーホルダー。ガチャガチャでハチワレのキーホルダーが出たら、ハチワレはいらないなんて抜かす。「ウサギだけ欲しい」
ハア?

ウサギのどんなところが好きなのと尋ねたら、「自由なところ」と答えが返ってきた。
なるほど、確かに。でもよくそんなにものめり込めるなと感心することしきり。

私はというと、ちいかわもウサギもハチワレもみんなかわいいと思う。でもその中のどれかを選ぶことはできない。
ちいかわだけじゃなくて、HUNTER×HUNTERについて聞かれた時も答えられなかった。クラピカもレオリオもゴンもみんなすてきだ。ヒソカだって。いいやつなのか悪いやつなのかよくわからないけど、ひとたび共にドッジボールをしたならなんだか仲間みたいな気がする。
一番好きなキャラは、その誰でもない。

「これだけが好き」という感覚はわからなくもない。私にもかつてあった。それは、犬夜叉の殺生丸だったこともあれば、BLEACHの日番谷隊長だったこともある。強くてやさしくて、かっこいい。金色の瞳とか銀の髪に、翡翠の瞳とか銀の髪に、ゾッコンだった。
こんなこと言っちゃ失礼だけど、推しキャラ以外は結構どうでもよかった。血生臭いバトルなんか少しも好きではないのに、ただあの姿を一目でも見たいがために漫画のページをめくった。
昔の話ね。
あんなに好きだったのに、途中から全然見ていないんだ。いつしか追いかけるのをやめてしまった。なぜだろう。

今はもう失われてしまった「一番好き」。代わりに得たものとは言えば、世界観や全体像を理解する力だと言えばいいんだろうか。ひとつひとつの星だけ見ればバラバラな存在だけど、つなぎ合わせて星座を、そこから新たな意味を物語を読み取るみたいに。
いちキャラ個人というよりも、世界観が好きだなと思う。ちいかわがいてウサギがいてハチワレがいるあの世界。
人間はたったひとりで生きているわけではない。人間関係に人の魅力は表れ出る。半沢直樹だって罵倒する相手がいなけりゃ始まらない。
そういえば、ここのところ作者で読む本を選ぶことが増えた。作中の登場人物よりもむしろ作者のことを「いいな」と考えてる。気がつけば、「なんとか賞」を取った作品ばかり読んでいた。
やっと自分の感覚が世間の価値観に追いついたと喜べばいいんだろか。一方で、自分だけの星を見つける才覚を失ってしまったような気さえする。前は片っ端から図書館の本を借りては、偶然の出会いに夢中になったのに。

誰かが欠けては成り立たない気がするから、私は一番を作らない。何かを好きになることは、他の何かを好きではないと切り捨ててしまうんじゃないかって心配なのかもしれない。誰でも自分らしくいられる世界に、今も私は憧れている。
そして小説や漫画は、一部の隙もなく登場人物の人格を叶えてしまう。「なんとか賞」をとる作品の何がすごいのかというとやっぱり、リアルな人間を描く力なんだと思う。完璧ではない。欠点もある。本物の人間よりも人間味のある人物。それでいて、ストーリーは完璧なのだ。一文字の無駄なく完成されている。すごいよね。

「一番好き」という、あの迷いのない、まっすぐな気持ちを久しぶりに取り戻したくなった。キャラクターは実在するわけではないのに、作品の中にしか存在しないのに、まるで本当に生きているかのように信じる気持ち。
それは、決して何かを切り捨てることはないんだ。「一番好き」から外れた場所にいる、モブキャラや、あっさり倒される小物の敵は影の中でほっと息をつける。1人や2人、どうでもいいやつがいてもいい。意味のないシーンだってあってもいいのだ。

どんな星座にも捉われず、たったひとつの星だけをかつての私は見つめてた。

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