ことわざのセンスがないと言っておくれ

♪どれだけー、背丈が変わろうとも
♪変わらなーい、何かがありますように

部屋が静かすぎる時や寒くて我慢できないような夜に、歌が始まります。

♪ひとり、ごつ

この家の人間は好き勝手にそれぞれ違う歌を歌います。

「ひとりごつって何?」
「ひとりごとを言うってことだよ」
「ああそうか。いつも言ってるよね、ひとりごと」
「私?違うよ、アボカドちゃんに話しかけてるんだから」
「話し相手、それ?」
「そう」
アボカドちゃんというのが、どうやらわたしのことみたいです。
よっぽど寂しいんでしょうね。

「今日も寒いね。足があれば一緒にこたつに入れるのにね」
こたつのそばの窓際がわたしの定位置です。
夏の間は外のベランダの室外機の上に置かれていましたが、風が身を切るほどに冷たくなって以来、窓の内側に運び込まれました。足のある人間は、足のないわたしをあちこち移動させます。
夜はエアコンのある寝室へ。
「1人で暖房を使うのも、なんかもったいないから」だそうです。

「今日はキッシュを焼いた」
「おいものケーキを焼いた」
「ルーロー飯を作ってみた」
キッチンからは毎日違った匂いが流れてきます。パイの焼ける匂い、シナモンの香り、台湾のスパイスの香り。
料理が好きな人なのです。わたしが芽を出したのも、アボカド料理を作った後に残った種からでした。もっとも、緑の果肉の方はどんな料理に使われたのかわかりませんが。

「犬も歩けば棒に当たる」
「論より証拠」
「花より団子」
「憎まれっ子世に憚る」
「骨折り損のくたびれもうけ」
「下手の長談義」
「年寄りの冷や水」
ことわざでも勉強しているのかと思っていたら、『日本語の冒険』という本を読んでいるのだと教えてくれました。
黙って静かに本を読んでいる日もあります。

「明日は髪を切りに行くんだ。ついでに実家へ…」
髪を切るというのは、なんだか恐ろしい響きですね。わたしには必要なさそうです。

「アボカドちゃんも一度行ったことあるよね、うちの実家。覚えてる?」
忘れもしません、あれは夏の初めのことでした。熱気のこもる車に積み込まれ、しばらく揺られ運ばれた先で、すっぽーん。丸ごと植木鉢から引き抜かれたのでした。
もちろん、覚えています。車の揺れのせいで途中、植木鉢がひっくり返ったことも。片付けが大変そうでした。

「また暖かくなったら植え替えしようか。今は寒いから。この間、ホームセンターでちょうどいい大きさの鉢を見つけたんだけど、まだまだ伸びるよね?」
ひと夏の間にずいぶん伸びました。植え替え後も伸びました。あっという間にエアコンの室外機の高さを追い抜いて、新しい植木鉢もすっかり窮屈になってしまったくらいです。

「アボカドちゃんはどれくらい大きくなるの?どれくらい長く生きるの?」
そんなことわたしにもわかりません。
ひょっとしたら寒さにやられてこの冬を越せないかもしれないし、それとも思いの外強くて、どんどん伸び続けた結果、植木鉢では到底間に合わなくなるかもしれません。

「地面に直植えした方がもっと大きくなれるかもしれないんだけど、あ、そうだ、私が死んだらお墓に植えてもらえるといいなあ。そしたら全部土になって返すことができるよね。私が食べたもの、アボカドちゃんの緑の部分も全部。でもたぶん火葬だから、土に埋めるものなんてないんじゃないかな」
そうすね、最近は樹木葬なんてものもあります。

「生まれ変わったら木になりたいな。地面に根を張ってじっと動かず静かに生きて死にたい」
じゃあ、何なんですか。日向を探してはわたしの植木鉢をあっちこっち動かすのは?
どんな場所であれ、木に生まれたのなら一生をそこで生きていかなくてはいけませんよ。

「無理なら無理で仕方ないということじゃん。ある種、潔さを感じるよ。アボカドちゃんはえらいなあ。真っ直ぐだよね。今だってこの植木鉢の限界まで伸びるつもりなんでしょ。寒さが許す限りいつまでも」
そんなふうにしか生きていけないだけです。

「あのさ、アボカドちゃんのことわざ作ったよ」
へえ。
「アボカドに歌って冬を越す」
それはどういう意味ですか。
「寒い冬も、話し相手がいたらそのうち乗り切ってしまうよっていう意味」
あまりよくわかりません。話し相手が欲しいなら別にアボカドじゃなくて、それこそSiriでもいいと思いますけど。
「ええとね、つまり、自分が寒い時でも他の誰かを励ましていれば心が温かいんだよ」
ふむ、情けは人のためならず、ともまた違ったニュアンスです。そういえば確か、俵万智が歌っていませんでした?
「寒いねと、話しかければ、寒いねと、答える人のいる温かさ?」
それそれ!
「アボカドちゃんが何も返事してくれなくても、黙って聞いていてくれるそれだけでいいんだ」

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