孫から孫へ

僕の祖母は大変几帳面な人だった。

いつも和服をピシリと着て、毎朝テキパキ掃除をしていた。玄関の物置の上にはたきをかけ、畳の上の埃を箒で掃き、洗面所の鏡はきれで磨いた。大晦日には僕も床の水拭きを手伝った。仏間から台所まで、それが終わったら縁側を往復する。そうして家中をすっかり綺麗に磨き上げると、祖母はお墓の掃除に出掛けて行った。つまり、掃除を生き甲斐にしているような人だった。
祖母は本をよく読んだ。中学校までは通っていたけれど戦争に突入して、疎開をしてからは勉強らしい勉強をしてこなかったと言っていた。本を読むことで、学校でできなかった勉強を取り戻そうとしているみたいだった。
祖母の家の本棚にはたくさん本が並んでいたけれど、小さい子どもでも読める本は1冊しかなかった。「ごんぎつね」を何度も何度も読み聞かせてもらったのを覚えている。本を読む時、祖母は眼鏡をかけた。読み始める前に必ず一度咳払いをした。
「もずって何?」「おはぐろって何?」
途中で質問を挟まれるのがおばあさんは好きではないようだった。
「いいから黙って聞き」と、僕を諌めて続きを読むのだった。
「ごんぎつね」はそこそこ長い話だったので、いつも途中まで読んだところで僕は眠りに落ちてしまう。昼寝の時間は毎日あったので次の日続きから再開された。
その日は珍しく、「何か別の話をしてほしい」とせがんだ気がする。祖母はちょっと考えて、それから話し始めた。
「これは、おばあちゃんが小さかった頃の話でな、おんなじ歳の男の子がおったん。他の男の子はみんな意地悪だったんだけどその子は気の優しい子でな。鶏の世話とか栗拾いとかよう一緒にしとったわ。えらい仲良かったん。だけんど、その子引っ越すことになってな。いつもおばあちゃんは2階で寝とったんだけど、ちょうどそこから手え振っとるんが見えた。下じゃないよ、窓の外で手え振っとるの。」
祖母の家の2階には僕も上がったことがあった。大晦日の日は2階の本棚にはたきをかけるのだ。
「2階の窓まで登ってきたの?」屋根を伝って行ったのだろうかと僕は驚いた。
「いいや、窓の外にふわふわ浮いとったん。そいで手え振っとった。」
「なんで浮いとったの?」
「さあー、なんでだろ。」
おばあちゃんは不思議そうに言った。僕が質問してもいつもみたいに嫌な顔をしなかった。
「その子なんて名前だったの?」
「うーん、思い出せん」
その日僕は夢を見た。2階の窓から外を見ると女の子が手を振っている。僕と同じくらいの年頃の子だ。すもも色のワンピースを着ている。僕が手を振り返すと、女の子は「またね」と言った。だんだん小さくなる後ろ姿を、夕焼けに染まる雲に隠れて消えてしまうまで僕はずっと見つめていた。

気づいたら僕は祖母の年齢をとっくに超えてしまっていた。お盆には孫が遊びにくる。買い物を済ませ台所にジュースやらビールやらを運びこんでいると、縁側の方から妻が掃除機をかける音が聞こえた。四つん這いになって雑巾掛けをしていた昔と違い、掃除機は楽でいい。妻は2年前から膝を痛めているが、「掃除機がしんどくなってもルンバを買えばいいわね」なんて言っている。
6歳になる孫は明るく元気ですごく可愛い女の子なのだが、落ち着きがないのが玉に瑕だった。ちゃぶ台に宿題を広げてもご飯を食べる時も一時もじっとしていられないたちで、広い家の廊下を嬉しそうに走り回っては祖父母を困らせた。
特に夜はなかなか寝てくれない。もっと小さな頃はよかった。昔話を読み聞かせていればすとんと眠りについてくれた。活動時間が増えたのは成長の証だと喜んでもいいのだろうが、少しも寝る気配を見せないのには閉口した。次の朝起きれなくなってしまう。
妻が風呂に入っている間、仏間に布団を敷いて孫を寝かしつけるのは僕の役目だった。
「ほら、もう寝る時間だよ。布団を敷くから手伝ってな」
廊下を走りだす準備運動なのかラジオ体操を始めた孫の手に枕を押し付ける。
「ね、戦争の話聞かせてよ。ぼーくーごーを掘って芋のツルを食べてたんでしょ」
枕をぽんぽん上に放り上げながら、孫が言った。
戦争の話はこれまで何度か語って聞かせたことがあった。戦争を経験したのは祖母の世代である。僕も伝え聞いた話しか知らない。それでも「今はマンションが立っているあの辺りに畑があってそこに防空壕を掘った」とか「戦争中は美味しいものが食べられなかった。じいちゃんのおばあさんは戦争が終わってからお菓子が好きでよく買ってきたよ」という話をすると、その度に孫は興味津々で聞いていた。
子どもの興味は目まぐるしく移り変わる。次の日孫は戦争の話なんかきれいに忘れ、怖い話を聞きたがった。「ねえ、なんか怖い話して」
お祭りのお化け屋敷が気に入ったのか、家に帰ってからも「お化け的なもの」を探し回るのに夢中になっていた。押し入れやトイレを覗き込んだり、天井のシミを熱心に観察していた。
怖い話か。
一生懸命考えたけれど、残念ながら僕は今までお化けの類を見たことがなかった。その時ふと思い出したのが、2階の窓から手を振って去って行く女の子の姿だった。
「じいちゃんが子どもの頃、不思議な夢を見たよ。」
不思議なもので、記憶の中の女の子は孫と同じ顔をしていた。
話し終えると孫は「怖くないじゃん!」と言ってむくれた。それから「今から2階の窓を見てこよう」という孫を寝かしつけるのにはまた骨が折れた。
「明日また一緒に見よう。昼間なら怖くないからな」
孫は不満そうな顔をしたけれど、「怖くないもん」と言いながらやっと目を閉じてくれた。

おじいちゃんに2階の窓から手を振る女の子の話を聞いた夜、私は眠れなかった。眠ったふりをするとおじいちゃんは安心して寝に行った。おじいちゃんの足音がしなくなった後、百を数えるまでじっと待った。それが限界だった。とても朝まで待つことはできない。今すぐ2階の窓を見に行こうと起き上がった。
眠っているおじいちゃんとおばあちゃんを起こさないよう足音を忍ばせていく。真っ暗な階段をゆっくりゆっくり手探りで登った。階段が軋む音を立てるたびにぴたりと動きを止める。心臓がドキドキいっていた。
本棚の後ろにその窓はあった。背伸びをしてカーテンをめくるとチカチカ瞬く星明かりが見えた。星はずっと遠くにあるはずなのに、手を伸ばせば届くすぐそばで何かがぼんやり光っている。と思ったらそれは私と同じくらいの歳の男の子だった。白いシャツに青い短パンを履いている。驚く私に男の子はにっこり微笑んだ。
それからどうやって階段を降りて布団の上まで戻ったのか全く記憶にない。でも、朝いつものようにおばあちゃんが起こしに来ると私は自分の布団の上で眠っていた。驚いたことに、隣にもうひと組布団が敷かれていて、あの男の子がおばあちゃんに起こされているところだった。
その日から私はその子と遊んで過ごした。宿題の夏休みの日誌を広げる時には隣で同じ問題を解いていたし、ご飯を食べる時も一緒だった。寝る時も寂しくなくなった。仏間に布団を並べていつまでも喋っていたかったけど、いつも途中で眠ってしまう。どちらの方が長く起きていたのかはわからずじまいだった。
なんでも競争した。おかげで強敵の作文も読書感想文も記録的なスピードで終えられた。プールに行けばその子の方が泳ぐのが早かった。走るのは絶対負けないと思ったのに、家の廊下を走っていたらおじいちゃんに怒られてしまった。「外でやりなさい」
おじいちゃんもおばあちゃんもその子が突然うちに現れたことについては何も言わなかった。初めから2人でおばあちゃんの家に遊びに来る予定だったみたいに、残りの夏休みを一緒に過ごした。
夏休み最後の日、その子は空へ帰って行った。2階の窓からお別れした。「またね」と確かに言っていたからまた来年会えるのだろうと思った。
次の年の夏もその次の年も、夏休みにおばあちゃんの家に行くたびにあの子の姿を探した。2階の窓も覗いたけど青い空に入道雲がぷかりぷかりと浮かんでいるだけだった。おじいちゃんとおばあちゃんに聞いても「夢でも見ていたんじゃないの」と笑われた。みんなで一緒にご飯を食べていたのにおかしいな。
ずっと会えないまま時は過ぎ、あの夏の思い出をいつのまにか忘れてしまった。

2階の窓はもうない。おばあちゃんの家はおじいちゃんが亡くなった時、取り壊されてしまった。古くなった家はあちこちがたがきていて雨漏りもしていた。取り壊すより他なかった。
私は子供がいないまま歳をとった。このままひとりで死ぬだろう。それは私が選んだことだ。
おばあちゃんの家はなくなってしまったけれど、盆と正月にはお墓参りに行くようにしている。冬はいいが夏は大変だ。ぼうぼうに生えた草をむしり、水を入れ替え、新しい花を生ける頃には汗びっしょりになっている。
墓前で手を合わせるといつも思い出す。
「死んだ人はどこに行くの?」と聞いたら、おじいちゃんは「お空に帰るんだよ」と言った。
最近私は空ばかり見上げてしまう。寝る前に自室の窓から窓を覗くのが習慣になっていた。天気のいい日は星が見える。
また会えると信じている。孤独ではない。穏やかな気持ちで眠りにつく。

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