山本幸久『花屋さんが言うことには』

花言葉とか、花だとか、それがなんだ。
そういう気持ちもなきにしもあらず。

だって誰かに花を贈る時に花言葉の意味を考えないといけないなんて面倒くさくない?
「この花をあげたい」と思った時に、花言葉の意味が自分の意図と違っていたら誤解を招くかも知れない。それに、たかが言葉ひとつのせいで売れる花、売れない花が出てきてはなんだかなと思うじゃん。そもそも花のありのままの姿を何か一つの言葉に当てはめようなんていうのが気に食わない。見る人それぞれの、その時その時の気持ちで受け取ればいいじゃん。

そんな私が、父に本を勧められてこの本を読み始めた。『花屋さんが言うことには』
ブラック企業を辞め、花屋さんでアルバイトを始めるけれど、本当はグラフィックデザイナーとして仕事をすることを志している、という主人公の境遇は私自身と重なる部分もある。
主人公以外にも様々な人生を歩む女性が登場する。子育てや親の介護に追われ仕事を諦めた人もいれば、パートナーとの別れを経験した人もいる。どんなことがあっても前向きに生きていければいいけれど、悲しみやつらい出来事をうまく受け止めきれない時もあって、人に反発してしまったり自分の娘に対しても冷たくしてしまったりすることもある。そういうところ、とても人間らしいと思うな。素直じゃないのも可愛いく思える。
お父さん、こういう本も読むのね。へー。
うちの父は花屋さんなんて絶対足を向けないような人だ。母の日にもカーネーションを贈ることはない。だから、意外な気がした。

ストーリーの中に散りばめられる花言葉や和歌や小唄なんかが私は気になった。
例えば、「つれなのふりや」ってすごく耳に残る。意味を教えてもらったら、ああなるほどと納得するんだけど、掴めそうで掴めない失われた日本語の響きに惹きつけられるのかもしれない。
お花屋さんでは日替わりで花に関する言葉をボードに書き、店先に出す。ひまわり、桜、菊、ミモザ。様々な花に想いをのせて人は言葉を残していった。
花言葉は、花が語りかけるメッセージのようだ。
「幸せは二度訪れる」
「色褪せない恋」
「You’re a wonderful friend.」
それぞれの人生の局面で寄り添う花たちの言葉に、ハッとさせられる。いとつきづきし。

これ絶対、お母さん好きそう。予想に違わずというか、私が読んでいるのを見て母は、「誰の本?」と聞いてきた。読み終わった私は母にこの本をバトンタッチしようと思う。
父と私と母の3人で同じ本を回し読みするのはなんだか妙な感じがする。少なくとも、これまでにはなかった。別に家族同士でなくてもいいのだけど、本を読みながら知っている誰かの顔が思い浮かぶのは素敵な経験だと思う。

花言葉のコーヒーフレッシュを知ってる?蓋のところに花の写真と花言葉、誕生花とされている日付がついている。たくさんある中から今日はこれと選び出した結果がまるでおみくじみたいで面白い。
どうして花言葉なんてものがあるのだろう。人間は鈍い生き物だからあえて言葉にしなくては気づけないのだろうな。素晴らしい友達に恵まれていたこと。再び幸せに出会えると信じること。もうこの世にいない人からのメッセージ。花たちはそういうことを伝えようとしてくれているのではないか。

文学的ロマンだけではない。花の魅力がいっぱいに詰まっている小説だ。
絶海の孤島でロッククライミングまでして求めに行く珍しい種類の蘭がある。ビームを当てて人為的に突然変異を起こして創り出したフリル菊がある。たかが花にどうしてそこまで情熱を傾けられるのだろうと思うと、なんだか面白いんだよね。わかる?この気持ち。花を見ている人間を、私は見ていたくなる。
あるいは、花だと思っていたものが実はそうではなかった時の不思議さ。鶏頭の赤いうねうねした部分は茎だったのか。じゃあ、花とは一体、何なのだろう。

「花なんて」と思う気持ちもなくはない。私は天邪鬼なので、ちやほやと花をもてはやす文化に反発したくなるのだ。
スーパーで買い物をする時、いつも花屋さんの前を通る。花を眺める人を避けていかなくてはいけない。こんな出入り口のところで立ち止まらないで欲しいな。
花なんて買うものではないと私は思っていた。生活に余裕がなければ花なんて買わない。お腹が満たされるわけでもないし、何の役にも立たない。わざわざ花を売る人の気が知れなかった。道端に咲く花に比べると、茎を切られて花屋で売られていくのを待つばかりの花はどこか可哀想な気もする。

なのになぜかその日私は花屋さんに立ち寄って、ピンクッションともうひとつ「長持ちします」とカードに書いてあった葉っぱを選んで買った。名前は忘れた。
ばーちゃんの畑には咲いていない珍しい花を選んだつもりだ。調べてみると、ピンクッションはアフリカ原産の花らしい。ピンク色だからそんな名前なのだろうと思っていたら、花の姿がピンを刺すクッション、つまり、針山に似ているからということだった。
「花言葉は、降り注ぐ愛だね。ありがとう」
母からLINEがあった。あ、そうなの?
花言葉なんて知らずにあげたのだけど、結果オーライ。
「レモンもきっと喜んでいるよ」と、母。
レモンにもこのお花が見えているだろうか。母に会いに行った時、レモンがいなくて落ち込んでいるみたいだったから、少しでも気持ちが明るくなればいいなと思う。

やっぱり、人が何を思おうとその花の美しさは否定できないものだ。最近はスーパーで買い物をするついでに花屋さんの前を通る時、少しだけ歩調を緩めて眺めていく。
あ、バラだ。くっきりした赤色は私の目を引いた。気づけば足を止めて見入っていた。中心がきゅっと渦になっている。これ、水墨画に描いたらどうなるのかな。
今まで気づかず通り過ぎていたことをもったいなく思った。こんなに綺麗だったんだ。
余裕のない人ほど、花が必要なんだと思う。お花屋さんを見直した。

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