この気持ちを忘れないよ。もう二度と。
去年、福祉まつりの手伝いに行った時のことを書こう。
私の役割は、要約筆記のブースでお客さんに要約筆記とは何か説明することだった。ボードを使って聞こえない人とのコミュニケーションを体験をしてもらう。
聴導犬、大人気だった。向かいの聴導犬のブースには人が群がっているのに、要約筆記の体験に来るお客さんは少ない。ほとんどの時間ひまだった。あの日来てくれた一人一人の顔を私は思い出せる。
「好きなメニューは何ですか?」
A4サイズのボードにはいくつかイラストが載っている。スパゲッティ、カレーライス、エビフライ、寿司、ケーキ、プリン、メロンソーダ。
好きなものを選んで指を指すと聞こえない人にも伝えることができる。
「好きな色は?」
「好きな動物は?」
「好きな果物は?」
簡単なやり取りだけど、指を指してくれたら、「ああこれが好きなのか」とわかる。
伝わるって、嬉しい。聞こえないからそのことに気づけるんだと思う。嬉しいというこの気持ち、伝わってくれたかな。
日常生活の中ではもっといろんなやり取りをしている。例えば買い物をする時。
「いくらですか?」と聞かれて、金額を伝えたい時は、数字を指さして伝えることができる。
この街は毎年福祉祭りをするくらいだから、福祉に力を入れているのだろう。すべてのコンビニにコミュニケーションボードが置いてあるらしい。この間、ファミマのレジに貼ってあるのを見つけた。
「レジ袋いりますか」
「お箸いりますか」
「温めしますか」
「ポイントカードはお持ちですか」
いつも私は適当に答えてしまう。基本的に全部「大丈夫です」と言っておけばいいやと。正直、話しかける人のいない無人レジの方が気楽だ。
私はなんと失礼なことをしているのだろう。店員さんは真剣に聞いているのに、いい加減な返答をするなんて。
本当に些細なやり取りでも、相手の言うことが伝わるというのは、「やったー!」ってバンザイするくらい嬉しいことなんだよ。あんまり当たり前のように人は会話をするから、そのことを忘れてしまうんだ。
ひとり、聴覚障害のある女の子が体験に来てくれた。小学校高学年くらい。覚えた手話で自己紹介してくれた。実をいうと、その日私は一日ずっと手話が止まらなかった。意識してというよりは、緊張している時にしゃべろうとすると手が勝手に動いてしまう。それを見て知っている手話を使ってくれる人が何人かいた。
彼女のお母さんに言わせると、その女の子も緊張していたらしい。「本当はもっと手話を知っているはずなんだけど、今日は緊張して出てこないみたい」
人見知りする子なのかな。私と同じだ。
その子は全く聞こえないわけではなく、聞こえる方の耳で話しかけるとわかりやすいと言っていた。お母さんと、後からお父さんも来て一緒に話を聞いてくれた。耳マークを見たことがあるか尋ねたら、市役所で見たことがあると答えた。他にも駅やチケット売り場みたいな場所で目にする。
「◯◯ちゃんが電車に乗って落とし物をしたら、どうしますか?」
まだひとりで電車に乗るような年齢でもないけど、そんなことを私は聞いた。
「お財布を落とした!どうしよう?」
女の子はパチパチと瞬きをして私を見つめる。おとなしそうな子で黙って次の言葉を待っている。
「そうだ、駅員さんに聞いてみよう。もしかしたら誰かが拾って届けてくれているかも。でも聞いてみて、言われたことが聞こえなかったらどうしよう?」
この子ひとりだったら、自分で聞けるのかな。そんなことを私は思った。でも、私だってもともと頼りない子供だったはずだ。
「そんな時に耳マークと『筆談します』の表示を見たら、少し安心できるんじゃないかな。書いてくださいとお願いしやすくなるよね」
本当は耳マークがなくても、「筆談?いいよ」と応じてほしいものだ。でも大半の人は世の中に聞こえない人がいるということをわかっていないんだろうね。
「聞こえなくて困った時は、自分から言わないと周りの人はわかってくれないんだよ」
初対面の子に向かって何話してるんだろう、私。
聞こえなくて困った時は遠慮なく言っていいんだよ、と本当は伝えたかった。聞こえなくても大丈夫だよ、と自信をもって言うことができなかった。
それは私自身、できていないからだ。聞こえなくて困った時に黙って諦めることがままある。自分が自分であることに、自信を失くしている。
この日私はひとりの女の子に出会って思ったんだ。
「自分よりもあとに生まれてきた子たちのために、私は胸を張って生きていきたい」
その時、「自分のため」と「人のため」の境界がぐわっと溶けてひとつになった。私が私らしく生きることが、あの子のためになるなら、何としてもそうしたい!
ずっと探し求めていた答えを見つけた気がした。
嬉しかったのは、耳マークや手話に興味を持ってくれる子どもたちがいたことだ。
福祉まつりという状況が特別だったのかもしれない。この日が終わったら、普段の生活では筆談とかボードを使ってコミュニケーションすることはもうないのかもしれない。それでも今日、楽しくおしゃべりできた思い出が少しでも心の中に残っていればいいな。
明日から私は人と話すことがもう怖くない。伝わらないことを恐れなくていい。伝わることが嬉しい!と思ってコミュニケーションする。
これからもっといい未来にしていきたいから。誰もが自分らしく生きていける社会が現実のものとなってほしいから。
だから、私は生きているんだ。
自分のために今を生きることが、未来の誰かにつながっているというこの感覚を、いつも心に留めて生きていきたい。