余裕がほしいとずっとずっと思っていた。
空の星をつかむような願いだったのに、気づいたら叶っている。嬉しい。
今ではなんでもないことだけど、初めて1人でスタバを利用した日というのがあったのだ。注文するのも食べるのも、何もかもが怖かった。サイフハモッテイルカ。テンインサンハナニヲイッテイルノ。ワタシ、ナニカマチガエテイナイ?
ひとりで電車で出かけるのも怖かった。お金が足りなくなってしまうんじゃないかって心配した。何度も往復して通い慣れたルートであっても、時間に間に合わなくなってしまうのが心配だった。
人と話すのが怖かった。言われたことがわからないし、何をいうべきかわからない。誰とも話さず1日を終えられるように、学校では息を潜めるようにして過ごした。
どこかに出かけるのだって、誰かと話すことだって、できれば避けて通りたかった。もっと余裕があったら上手くできるはずなのに。子どもの頃はとにかく気が小さかった。
そんな自分を変えたいと思い続けて20数年。一朝一夕でできた余裕ではない。
大人になった今は、自分の手足に、自分の口に、安心して任せておける。
財布オッケー。履歴書オッケー。 時間通りにでバスに乗り、迷わず目的のバス停で降りた。聞かれることも事前に予習済みだ。
気づいたら知らない人とにこにこしながらしゃべってる。緊張しないわけではないけど、肩の力がふっと抜けた感じ。
うまくいかないならそれはそれで仕方ないと思う。世の中、思うようにいかないことばかりだ。自分の言葉も、自分の体も、他人がどう評価するかも。そんなことで悩んでもどうしようもないじゃないか。諦観。
子どもの時の方がもっと一生懸命生きていたのかな。
違うな。
「もうどうにでもなれ」という投げやりな態度とは違う。自分の人生がかかっている、大事な面接だ。
こう見えて余裕を作り出すのに、一生懸命なんだよ。微笑むことも、しっかり声を出すことも、言われたことが聞き取れなかった時に聞き返すことも。自分を見失わないようにあらゆる手を打っている。
運とか巡り合わせのような自分の力ではどうにもならない要因もあるけれど、なんとかチャンスを引き寄せたい。欲が人間を打算的にさせるのか。
できることを全てやった後でなら、どんな結果でも受け入れられる。
頭に余裕があるといろんなことを考えるものだ。質問されてから答えるまでの短い間に目まぐるしく思考が巡る。
A社面接
「今回の転職についてご両親はどのようにお考えですか」
こんなこと聞くのかー。軽い驚きがあった。
転職することで家族仲が悪くなることを心配してくれているのか。もしかして親世帯に仕送りをしているかどうかを聞きたかったのか。それなら直接そうと聞けばいいのに。意図がわからない。
面接後、心の中にもやもやが残っている。なんだか子ども扱いされているみたいだ。
そんなふうに反感を持ってしまうのは、大人にならなくてはと必死だからなのだろう。私にはあまり心の余裕がないみたいだ。
B社面接
「授業のサポートとは具体的にはどういったことですか」
現在の職務内容についての質問だった。
「教科書を開いていない子がいたら、『何ページ開いて』とか、寝ている子を起こしたり、宿題をやってこない子への声掛けをしたりしています」
面接官は控えめに笑った。彼自身子どもの頃、「宿題やりなさい」と言われ続けていたからなのか、それともできない子たちに対する呆れからなのか、はっきりとはわからない。
一生懸命やっていたつもりだったんだけどな。だって、それしか私にはできることがなかった。
C社面接
「なぜロシア語を選んだのですか」
履歴書に書いた「ロシア留学」についての質問だった。
「特に深い理由はないですが、面白そうだと思ったからです」
ほう。面接官2人とも満足そうな顔になったのは意外だった。こんな曖昧な答えでいいのかと不安だった。
「面白そう!」と感じることを大切にしている会社なのだと思った。
面接での質問には正直に答えなければいけない。嘘を言っても何もいいことない。けれども、やっぱり「正解」があるように思える。何を言ったら採用されるのかをいつのまにか考えてしまう。
口の上手い人間がやっぱり選ばれるのだろうか。
面接官は「人柄」を見ているのだという人もいる。それなら私も、面接官の「人柄」を見る。言葉では取り繕えない部分で、「いい」か「いや」かを判断してる。
ついこの間までは「自分の言いたいことをちゃんと言う」というのが、目標だった。言いたいことを言うだけではまだ足りない。「相手の心を動かすこと」が次の目標かな。
もう怖くもなんともない。
望みがでかくなった分、それに合わせた余裕がいる。Stay hungry, stay foolish.