1日1時1分1秒

 

陽が沈むのがいつもより少し遅い気がする。もう16時すぎているのにまだ太陽が地上からいつもより高めに浮いていた。心なしかいつもより暖かい気がする。もちろん冬特有の寒さはある。あるけどどこかが暖かい。

そりゃそうだ、2月が終わるのにもう10日もいらないんだ。

わたしの年齢の倍ぐらい生きている六畳一間の木造アパートで寒さを呪いながら毛布に包まって震えていた日々がもうすぐ終わるのだと思うと、嬉しいと同時にちょっとした、さみしさもある。

気づけば桜が咲き乱れ、綺麗な花が鼻を刺激するし。気づけば雲が空高くそびえ、お化けに会いたくて夜も眠れないし。気づけば葉っぱの色が増えていき、焼き芋のせいで食費は逃げるし。気づけば終わりの鐘が鳴り始める。

鼻水たらしながら遊んでたあの頃は1日が永遠のように思えたし、土曜日がとても待ち遠いし、夏休みなんかもう終わりはないって思っていた。毎日がそう、全力だった。

年を重ねる毎に1日の体感時間が短く感じるのはなぜなのだろうか。

小さな子と遊ぶ仕事をしている友人と話した真夜中。「あっという間におっさんになるんだぜ」なんていう話をしていた。

「こどもの時間の流れとおとなの時間の流れが違う理由、俺さ少し分かるかもしれない」と友人は言った。

「ほう」

「俺、こどもと遊ぶ仕事してるじゃん?で、こどもの記憶力ってすごいよ。本当に小さなくだらない会話のひとつひとつ覚えてる。この話前にしたよ!ってよく言われる。1日1日を鮮明に記憶しているんだよ。それに比べて俺らはどうだ?ただただ1日を惰性に過ごして記憶もしなければそりゃ、時間が経つの早く感じてしまうのもおかしくはないじゃん」

小さい頃は確かに毎日がそう、全力だった。1日1時1分1秒が全力だった。

しかし今は毎日を全力で過ごせているのだろうか。ただただ仕事早く終わって家に帰りたい。ただただ休みの日は寝て過ごすだけの、記憶するに値しない日々に、妥協してしまってないかい?同じこと繰り返しの日々に疲れてしまってないかい?いつもの楽しみさえも作業化してしまってないかい?

やっぱり年重ねていく中で怖いのは「楽しい」が「作業化」に変わってしまうことなんだなあと思った深夜。

友人と会話していて気づかされた時から1日1時1分1秒を意識してみようと思った。さすがに1時1分1秒はやりすぎなのかもしれないが、それぐらいの心構えは必要なのだ。

おかげで少し、時間を長く感じるようになっている。まだ2月22日なのだ。たしかに2月が終わるのにもう10日もいらないけれど、まだ6日半ぐらいはあるのだ。

 

あなたも、わたしと一緒に

今日を、全力で生きてみないかい?

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