当時のミックジャガーをこう語る。

こんにちは、よしだじゅんやです。

 

僕は先のことを考える能力が低い。先のこと、というのは未来のことや将来のことだ。

「僕は将来のことを考えるのが苦手だ」

なんだそれはと思う。将来とか未来ということばを使うと、急にチープなホームドラマみたいな雰囲気になる。僕は将来や未来という言葉が苦手だ。嫌いと言ってしまっていいかもしれない。

どうも、人々は先のことを考えるのが好きらしい。暇さえあれば机に向かって将来設計に勤しんでいる。いつ頃にパートナーをみつけ、いつ頃に結婚し、いつ頃にマイホームを建て、いつごろに会社をやめるべきか。そんな類のものだ。就活のタイミングに、僕は数年後の自分について何度も考えることを要求された。優秀な人事が「君は1年後どんな社会人でいたいか」とか「将来に達成したいことはなにか」と尋ねるのだ。幸い、僕は詐欺師の夫婦の間に生まれたので、将来のことを考える能力は低いが、でっちあげの話を物語る能力は高い。その場は適当に予想可能な話をつくってユーモラスに語っていた。けれど、本心ではこう思うのだ。

「将来のことなんて、誰がわかるというんだ」

一年後の自分がどういう社会人であるか、という問いに対して、自分が社会人をしているかすら確証を持てない。僕のことを良く知る人ならば、きっと首を縦に振るだろう。一年後、か、そんなの愚問だ。わかるはずがないじゃないか。君は一週間後の今、どんな気持ちで何をしているかわかるのか。と訊き返したい。君は質問に答える。じゃあ、それは何を根拠にそういったんだろう。君が語る一週間後の君は、君の願望にすぎないんじゃないだろうか。

 

もう、僕は知っている。先のことを考えたって無駄なのだ。もっと正確に言うと、先のことに確かさを求めることなんてできっこないのだ。僕たちが先のことを考えるとき、それは僕たちの願望でしかないのだ。過去、今、未来という三つの軸があるとしたら、確かさを求められるのは過去だけだ。僕は僕として、なんの根拠も求めず、ただ生きるしかないだろう。物事の意義は、体験してからしか理解することができない。これはかなり重要なことだと思うのだ。

 

The Rolling StonesのMick Jaggerは当時こう豪語していた。

“I’d rather be dead than still singing ‘Satisfaction’ when I’m forty-five.”

彼は現在70を超えているが、今でもローリングストーンズのフロントマンとしてSatisfactionを歌い続けている。僕は彼が嘘をついたのだと非難をしたいわけではない。20代の人間は45歳になるまで、45歳の気持ちはわからないということを強調したいのだ。そして、、若かりし頃の彼は、今まさに、「そう考えていた」ということである。この逸話は僕のことを勇気づけてくれる。

 

今日も読んでくれてありがとう。園子音監督は自著の中で「刹那的に生きる人間」と自分を説明している。この言葉も当時の僕を強く勇気づけてくれた。ミックジャガーや園子音が特別なのではなくて、みんな刹那的に生きているんだろう?というのが今を生きる僕の心情である。

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