似ているけど違った

久しぶりにカラオケに行ってみたいなって思ったんだけど、全然歌えないことに気づいた。聞こえる人ならただ耳から音楽を聴いているだけで歌えるようになるかもしれないが、私はそうはいかない。聞こえなくなってから時間が経つにつれて、どんどん音の記憶が失われていくのを感じている。普通にしゃべるだけでも発音がおかしいってことになったのだから。
楽譜を見ながらリズムと音程をイメージする。そうすると、ああ、こういう曲なのか、とわかる。わかった気になる。
もし私が生まれつき聞こえていなかったら、あるいは聞こえていた頃にピアノを習わなかったら、いま音楽を想像することはできなかったんじゃないかと思う。本当は聞こえないのに、音の記憶を頼りに、聞こえている感覚を補っているだけなのだ。

楽譜を分析した後、100回くらい聞くとようやく音楽が頭の中で形になっていく。
「聞こえない」を「見えない」に置き換えて例えるなら、まず絵画の説明を聞く。それが楽譜を読む段階。それから虫眼鏡で一枚の絵画をつぶさに観察した後、元の絵をイメージするみたいな感じか。
なぜそんな面倒なことをしないといけないのかって?だって虫眼鏡じゃないと見えないから。
1回聴いただけではあちこち欠けだらけで、ちゃんと音楽として聞こえないんだ。100回分のデータをつなぎ合わせてようやく、ああ、これが、カイトなんだなあ、とわかってくる。

それって矛盾してない?
きちんと聴こえていないのに、果たして「この音楽いい!」と感じたりできるものなのか。私にとって、ある音楽を気にいるかどうかの基準って一体どうなっているのだろう、と考え始めた。

どうして私は「カイト」を覚えようと思ったのだろう?
初めて聞いたのは、この夏、とあるイベントでイルミネーションを眺めている時だった。暗闇の中でじっと立ち尽くして、光と音に注意が向けられていた。光の揺れから音のリズムをつかむことができた。だから、音楽がすっと入ってきたのだと思う。
テレビは見ないし、嵐のファンでもなかったので、結局リリース当時は聞かなかった。本当に、興味がなければ音なんて入ってこない。

「カイト」が、一度聞いて忘れられない曲になったかというと、そうでもない。確かにすごく綺麗だったけど、後で思い出そうとするとあやふやで、特に曲自体にこれといった印象は持たなかった。歌詞も知らなかったし。ただ、米津玄師さんの曲だから、聞いてみようという気持ちになったのかもしれない。

一旦気になると執拗なくらい繰り返し聞く。昨日と今日で100回くらいは再生したと思う。
歌詞がわかると違う。カイトって凧のことなのか、と知った瞬間から、イメージしながら音楽を聴くことができるでしょ?「カイト」に限らず、米津さんの曲は音が具体的な姿を持っているから、聞きやすい。

ひとつ、心に引っかかるメロディがあった。
「繋がった先まで」の部分。あるいは、「ラル、ラリ、ラ」と同じメロディかもしれない。
どこかで聞いたことあるような、とずーっと考えていたんだけど、やっと思い出した。
「空色の列車」に似ている。

Эй, прибавь-ка ходу, машинист!

訳すなら、「おい、スピードを上げて、機関士さん」って感じか。3番まであるから他にも2箇所、同じメロディの部分があるはずだ。
「空色の列車」は、ちょっと懐かしい感じのする歌だと思っていた。それがソ連時代の歌の独特な雰囲気なのかと。
でもたぶん、「空色の列車」も小さい頃に聞いていた音楽の一部分と似ているところがあるのだろう。
あるいは、似ていないのかも。頭の中で繰り返し聞くうちに、すっかり別の何かに作り替えられてしまったイメージかもしれない。
楽譜があるならきちんと確かめることはできるけど。耳も記憶もあてにならない。だから面白い。

ふと気になって、検索してみたら、DN.Angel のエンディングにたどり着いた。昔テレビで流れていたのを聞いて覚えていたのだろう。春はそこにきてーいた。
今聞くと、なんか違うなと思う。こんな歌だっけなあ。
今は歌詞さえ覚えていればなんでも検索できてしまうから、便利と言えば便利だけど、そのまま記憶に埋もれたままでも良かったかもしれない。結局、「カイト」も、「空色の列車」も、全然違う独立した曲なのだから。

それをいうなら全ての音楽は、何かしら他の曲のどこかに似ているんだよ、という声が聞こえてきそうだ。実際、米津さんの作った音楽はみんな兄弟みたいに似ている部分がある。リズムが違うだけで、「あ、これ別の曲にもあったアレだ」というのはなんとなくわかる。
どの曲とどの曲が結びつくかは、聞き手の記憶や思い出やあるいは無意識なんかと密接に関わっているのだろう。意味もなく、ただ似ている。でも違う。

カラオケに行ってみたら、本当に歌えなかった。自分の声が聞こえない。というか、出ない。音の洪水に溺れて、声の自由を失う。
音楽ばかりがやたらガンガン響く。もう音楽に聞こえなかった。あるはずのリズムさえつかめない。画面の歌詞に色がついていくのに一生懸命合わせるんだけど、ズレてばかりいる。無理だ。めちゃめちゃやかましい中で聞こえない声で歌うなんて。苦しくなる。もういっそ、アカペラのがいい。「翼をください」を歌った。
歌うってこんなに難しいことだったのか。私にも歌えていた時があったんだっけ。バラバラになりそうな音の世界を自分の声ひとつで渡っていく。すごい。

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