じゃあなんだ?自転車の霊か

朝からずっと耳鳴りがしている。

例えば、頭の横でハムスターがずっと回し車を回している。あるいは、くしゃくしゃ結んでは絡まり合う糸のような金属音。ちょうど2色、色が異なって見える感じに左右で微妙に違う音を立てている。あるいは、耳を塞いでも防げない飛行機の轟音。大抵ずっと耳鳴りはしているものだけど、今日の耳鳴りはいつもと違う音だった。
不規則な間を置いて、ピーン、ピーン。耳元にまとわりついて離れない、自転車のベルの音。

私が小学生低学年の頃、初めて補助輪なしで乗った自転車があった。カゴが黄色、フレームは青と赤、ハンドルに親指で弾くタイプのベルがついていた。見たことがない人のためにしくみを説明しておくと、丸い形のベルの横から松ぼっくりの羽根みたいな形の小さな棒が突き出ていて、その棒を親指でたわめてパッと離す。すると跳ね上がる時の振動でピィーンと音がする。子供の指で力いっぱいためを作らないとあまり音がしないベルだった。
ふざけて鳴らす場合を除いて、自転車のベルなんてほとんど鳴らすような機会もない。それなのになぜか、大人になった今でもあのベルの音を鮮明に思い出せる。
公園で自転車に乗る練習をした。膝小僧を擦りむいて泣いた。自転車に限らず跳び箱も水泳も、1回転ぶか溺れるかしないと私は何事も身につかないのだった。初めて自転車に乗れたあの時確か、誰か後ろから押してくれた人がいた。「ほら、いけ!」

ピーン。
ああ、また。この耳の中で鳴っている。

中学生になって自転車通学を始めたある日、私は気がついた。雨の日、決まってこの音が聞こえる。もちろん、小学生の時から自転車は代替わりしていて、その時乗っていたのはシルバーのフレームにグレーのカゴがついていた。ベルも変わった。人差し指で鳴らすとガチャガチャいう、よくあるタイプの自転車のベル。対して私の耳の中で鳴るのは、もっと高くて、どこにも引っかからないような澄んだ音。自転車の記憶と結びついていなければ、風鈴の音とも取れるかもしれない。
ある日、一緒に自転車を走らせていた友達に聞いた。
「自転車のベルの音がしない?」
友達は聞こえないと言ったのだったか。それとも、何か聞こえると同意してくれたのか。尋ねた私自身よく覚えていない。

謎の音は雨の日のたびに聞こえてきた。
心霊現象を疑った。乗っていた自転車は中学入学時に新品で買った。前の持ち主の霊がついているとかそういうわけではないだろう。
「雨の日」という条件についても考えてみた。雨が降っているときはカッパを着る。ほんの小降りならわざわざカッパを広げるのも面倒だから、袋から出さずカゴに乗せたまま行く。そういう時も音は鳴った。ピーン、ピーン。私はそのカッパが嫌いだったので、鬱陶しい耳鳴りをカッパのせいにした。
走っている場所はあまり関係ないようだった。家から学校までの通学路を通る時も、別の用事で出かける時も、相変わらず雨の日に聞こえてくる。ピーン、ピーン。家から5キロ離れた場所まで自転車を漕いで行ったこともある。漕いでいる間、鳴り通しだからうんざりした。

もしかしたら、今思ったけど、ある一定の湿度に達すると耳鳴りがする体質なのかもしれないな。

原因がわからないのが不気味だが、でも害はない。私はあまり気にしないようにしようと思った。
中学校の3年間、さらに大学を卒業するまでの10年近く、ブリヂストンの自転車は活躍した。大人になってからは、また新しい自転車に乗り換えたのだけれど、雨の日に自転車に乗ることはなくなった。バスや電車で行けるならわざわざカッパを着て自転車に乗ることもない。バイト先には徒歩で行くこともできた。

どうして今日、ほとんど忘れていたはずの、あの自転車のベルの音が蘇ってきたのだろう?
昼頃、ちょっぴり雨が降った。夕方には乾いてしまって雨の痕跡は消えていた。雨の知らせだったのか?
ピーン、ピーン。家に帰ってもなお、意識を向ければ今も鳴っている。
悪いものではないと思う。初めて自転車に乗れたあの日の記憶を呼び起こすものだから。

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