天童荒太『悼む人』

「あの男はとっくに死んでいる」と、親の死に目に会うことを避けようとする蒔野。
夫を殺した倖世は夫の霊に取り憑かれ、自分の中に殺した夫が「いまなお生きる力を持っている」という言葉に動揺する。
まだ生きている人間が死んだことにされ、死んだはずの人がまだ生きている。
人は簡単に存在を否定する。
「神様なんていない」
「おれの中にお前の存在は、ない」
一方で、人は「愛」を信じることができる。
不思議な生き物。
生きている、存在だ。 “天童荒太『悼む人』” の続きを読む

石井東吾『隠と陽 歩み続けるジークンドー』

クラスノヤルスクに住んでいた頃のこと、ブルース・リーカフェというものがあって、一度行ったことがあった。階段になっている入り口を降りていくと、洒落た空間が現れる。ブルース・リーのポスターや写真が貼られている。ブルース・リー好きでなければ別段何ということもないカフェだ。7年前と変わりなければ、街の中心のミーラ通りに今もあるはずだ。
ブルース・リーの映画を私は見たことがない。ジークンドーの創始者だということも知らなかった。
「ロシアでもブルース・リーは人気なのか、ふーん」と、冷やかしにカフェを訪れただけだった。その7年後、一冊の本を読み終わって俄然興味が出てきた。
「隠と陽」とは?
「水のようになれ」とは? “石井東吾『隠と陽 歩み続けるジークンドー』” の続きを読む