下北沢をもえちゃんとふらふらした。説明編

3月の末に、下北沢でダーリンのもえちゃんに会った。僕が下北沢を選んだ理由は、純粋に文化資本の香りを身に浴びたかったからだ。数日間実家の自室に引きこもって、息をひそめて生活をしていたので、恐ろしい速度の流れに身をまかせたくなった。下北沢には、本や服、演劇と文化的商品が溢れており、街を歩く人々は、古着を身にまとい、大量の資金を文化的商品に投下している。そして資金を集める店舗がさらなる文化資本を集める構造が存在している。
町のいたるところに「納税をせよ」と赤字で書かれた垂れ幕があった。それは一昔前の、「我々は闘う、お前たちは預金をして国を助けろ」という政府のプロパガンダを思い起こさせた。下北沢の一番街を散策していたらpropagandaというネオンサインが掲げられた、薄暗いカフェかバーのような店舗があった。どういう経緯でpropagandaという名前をつけたんだろう。店の窓から店内を除くと、20代後半の少しフォーマルな恰好をした男性の集団が、マルガリータやモヒートのようなカクテルを飲んで談笑をしていた。もえちゃんがいなかったらふらっと入っただろうなと思う。二人で怖いねえ、、、なんて言いながら店を通り過ぎた。しばらくしてもえちゃんは「私もお酒が飲めたらふらっとお店に入るのに」と言った。 “下北沢をもえちゃんとふらふらした。説明編” の続きを読む

酒の席、実のある会話をしたことがあるだろうか

酒の席で、実のある会話をしたことがあるだろうか。
その疑問を自分になげかけてみた。おそらく一度たりともなかったような気がする。もちろん、記憶として残っている素晴らしい思い出はある。けれど、そのどれもが邂逅の喜びや、疲れた心をいたわる想いや、空間と場所の暖かさが、ただ残るだけで、その場に決定的な会話が含まれていたかというとほとんど存在していない。

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武士道の「礼」、パンチラインきまりすぎ問題。

最近「武士道」を読んでいる。神宮寺と大学であったとき、彼が新渡戸稲造の原著をよんでいるのを見つけて、ちらっと眺めてみたのだ。そこに書かれていた「礼」についての文章が、非常に優れてみたのでさっそく購入し、ESを書かずにもくもくと読んでみた。

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就活生は神のお告げを欲している。

僕は就活生なのだが、不思議なことに数えきれないくらいESの添削を行ってきた。去年の今頃、あまりに暇だったので友人や後輩のESを熱心に添削していたのである。僕の添削の評価はまあまあ良好で、気づいたら友達の友達などまったく面識のない人のESを添削することも少なからずあった。世の中にはラブレターでお湯を沸かした人がいるようだが、同じ様に僕もESでお湯を沸かせたりするのかもしれない。

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お弁当には魔力がありますのよ。

昨年、森の映画祭でお世話になった谷合竜馬さんが、家入一真さんの出資を元手に「POTLUCK」というサービスをローンチした。月額制のテイクアウトサービスで、事前にアプリから予約をしておくと、店舗オリジナルのお弁当を受け取れるというサービスだ。提携店舗が400店ほどあり、利用者は好きなお店のご飯を、待ち時間なく受け取ることができ、好きな場所で食べることができる。先日ベータ版をローンチし、ついに一万食を突破したそうだ。めでたいし、実に嬉しい “お弁当には魔力がありますのよ。” の続きを読む

ダーリンは、大人になりきれなかった人の味方です。

大人の定義は様々だが、僕は「僕たちはみんな大人になれなかった」で語られる「大人」について話す。それは社会に出た後に形成されるという「第二人格」と同じものをさす。なんとなく僕のなかでは答えが出きってしまっているので、さっと書こう。

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僕は笑顔が怖い。その1

笑顔にはコストがあると思う。

ぐっと口角を引き上げて、目元を下げる。そして元に戻ろうとする顔を維持する。筋トレと同じだ。筋肉の収縮に負荷をかけることでトレーニングをするのだ。スクワットを無限に繰り返すことができないように、おそらく、笑顔もずっと維持することはできないと思う。笑顔にはコストがかかり、もともと人は無表情なのだと思う。
だから、僕は人に笑顔を向けられることが怖い。無表情でいいものを、わざわざ笑顔を僕に作るのだから、そこには僕には理解しきれない思惑が潜んでいそうだ。

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泥酔反省会。

こんばんは。よしだじゅんやです。

今日は昼から酒を飲み、美術館に行き、また酒を飲むことを繰り返す非常にジャンクなひだった。手が震えるし、うまくキーを叩くこともできなくて、すぐに寝そうになっているが、目の前にさとりちゃんがダーリンを書いている。この美しい乙女を前にして僕は文章を書かざるを得なくなっているのだ。

今日はずいぶん多くの言葉を無駄にしたと思う。本当にこれは残酷な話で、僕の口から出た言葉や打ち込まれた文章は、身をむすぶことはなく、ただ散っていったように思う。それを思うと僕はずいぶん悲しい気持ちになっているのだ。

今日は僕の大好きなライターさんであるタカハシさんと飲み、その後さとりちゃんと飲んだ。幣メンバーのさとりちゃんは耳が聞こえない。僕たちは酒を飲みながら、筆談で会話をする。当然、僕が文章を書くのを待つ時間があり、彼が文章を読む時間があり、それに返答をする時間がある。「好きな食べものは?」という問いの答えを得るのに、口頭で話している人たちと比べて3倍は時間がかかる。それは良い一面もあれば、悪い一面もある。

2人が飲み終えて、二人で宿まで帰った。東京は雨が降っていて、彼女がさす傘に入って僕は歩いた。僕はなにか彼女に話をふろうとおもった。「今日はずいぶん寒いね」とか「眠くないか」といったたぐいのどこにもいかない質問だった。彼女が僕の唇の動きを読んで意味を解釈する。読唇術などと呼ばれるが、それはぼくたちにとってずいぶん曖昧な手段だ。誤認も生まれれば、さっぱりということだってある。その状況を前にした時に、僕は彼女に何を語り掛けるべきだろうと真剣に悩みこんでしまった。そして、結局僕は彼女に語り掛けることはできなかった。言葉は生まれず、会話を形作ることもなかった。

タカハシさんと飲んでいるときに、僕は多くの言葉を殺したと思う。不必要な発言をし、そこに芯のある返答が得られず、会話が終わるといったことだ。正しいか間違っているかで判断をすれば、僕は間違っていたと思う。誤解をまねかないように言うが、とても素晴らしい夜だった。それに対して僕は非常に無力だったような気がする。

生きた言葉を使いたい。意味があり、血が通った言葉だ。
今日も読んでくれてありがとう。僕は無力だ。お姉さまや乙女の優しがあるだけである。ずいぶん反省している。

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