大人の定義は様々だが、僕は「僕たちはみんな大人になれなかった」で語られる「大人」について話す。それは社会に出た後に形成されるという「第二人格」と同じものをさす。なんとなく僕のなかでは答えが出きってしまっているので、さっと書こう。
ボルシチ
街を歩くとキリル文字が飛び込んでくる。
аптека, парикмахерская, кафе, улица Светланская….
周りを歩くのはロシア人。スーツを着ている人なんかひとりもいない。にんじん色のコートににんじん色に染めた髪の人を見かけても何も変な感じはしない。
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[僕から君へ]
笑顔がかっこいい大人に憧れて
「ん〜お酒はきもちいいぞ?」スキンヘッドのお兄ちゃんはそう言って缶ビールを飲み干しては笑っていた。半袖から伸びる太い腕に龍の絵が描かれてある。とてもかっこよかったのを覚えている。
お題投げます(自由参加)
[王様と魔王の片目と僕と]
紆余曲折あったけど
24時間前まですっかりあきらめていたのに、いま私はウラジオストク行きの飛行機に乗っている。
うれしい。まだロシア着いてないけど、もう既に最高にうれしいよ。
奇跡だ。神様ありがとう!
Спасибо, Бог!
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きょうのごはん 20190310
[23歳の夏休み]
「よく笑う大人」を教えてくれたのは校長先生でした
「校長先生の話は鼻くそなので話すことはありません。今月も頑張りましょう終わりっと」鍛えていてガタイがよく、日焼けなのか元からなのかわからない黒い肌をしているスーツを着た初老の男性が鼻くそをほじる仕草をしては、周囲に笑いが起こった。校長先生も笑っていた。
とても高い天井に数々の管が行き来している隙間に申し訳なさそうに居座っている照明が広い空間を照らしている。茶色い床、黄色い扉、奥にはトランボリや大きなクッションといった遊具が置いてある体育館で「全校朝会」とかいう月に一回ある行事が行われていて、身長順に並んでいるわたしたちは校長先生の話を聞いていた。
確かわたしがまだ小学低学年の頃だった。その頃わたしは校長先生が大好きだった。