僕は就活生なのだが、不思議なことに数えきれないくらいESの添削を行ってきた。去年の今頃、あまりに暇だったので友人や後輩のESを熱心に添削していたのである。僕の添削の評価はまあまあ良好で、気づいたら友達の友達などまったく面識のない人のESを添削することも少なからずあった。世の中にはラブレターでお湯を沸かした人がいるようだが、同じ様に僕もESでお湯を沸かせたりするのかもしれない。
お弁当には魔力がありますのよ。
昨年、森の映画祭でお世話になった谷合竜馬さんが、家入一真さんの出資を元手に「POTLUCK」というサービスをローンチした。月額制のテイクアウトサービスで、事前にアプリから予約をしておくと、店舗オリジナルのお弁当を受け取れるというサービスだ。提携店舗が400店ほどあり、利用者は好きなお店のご飯を、待ち時間なく受け取ることができ、好きな場所で食べることができる。先日ベータ版をローンチし、ついに一万食を突破したそうだ。めでたいし、実に嬉しい “お弁当には魔力がありますのよ。” の続きを読む
ダーリンは、大人になりきれなかった人の味方です。
大人の定義は様々だが、僕は「僕たちはみんな大人になれなかった」で語られる「大人」について話す。それは社会に出た後に形成されるという「第二人格」と同じものをさす。なんとなく僕のなかでは答えが出きってしまっているので、さっと書こう。
僕は笑顔が怖い。その1
笑顔にはコストがあると思う。
ぐっと口角を引き上げて、目元を下げる。そして元に戻ろうとする顔を維持する。筋トレと同じだ。筋肉の収縮に負荷をかけることでトレーニングをするのだ。スクワットを無限に繰り返すことができないように、おそらく、笑顔もずっと維持することはできないと思う。笑顔にはコストがかかり、もともと人は無表情なのだと思う。
だから、僕は人に笑顔を向けられることが怖い。無表情でいいものを、わざわざ笑顔を僕に作るのだから、そこには僕には理解しきれない思惑が潜んでいそうだ。
泥酔反省会。
こんばんは。よしだじゅんやです。
今日は昼から酒を飲み、美術館に行き、また酒を飲むことを繰り返す非常にジャンクなひだった。手が震えるし、うまくキーを叩くこともできなくて、すぐに寝そうになっているが、目の前にさとりちゃんがダーリンを書いている。この美しい乙女を前にして僕は文章を書かざるを得なくなっているのだ。
今日はずいぶん多くの言葉を無駄にしたと思う。本当にこれは残酷な話で、僕の口から出た言葉や打ち込まれた文章は、身をむすぶことはなく、ただ散っていったように思う。それを思うと僕はずいぶん悲しい気持ちになっているのだ。
今日は僕の大好きなライターさんであるタカハシさんと飲み、その後さとりちゃんと飲んだ。幣メンバーのさとりちゃんは耳が聞こえない。僕たちは酒を飲みながら、筆談で会話をする。当然、僕が文章を書くのを待つ時間があり、彼が文章を読む時間があり、それに返答をする時間がある。「好きな食べものは?」という問いの答えを得るのに、口頭で話している人たちと比べて3倍は時間がかかる。それは良い一面もあれば、悪い一面もある。
2人が飲み終えて、二人で宿まで帰った。東京は雨が降っていて、彼女がさす傘に入って僕は歩いた。僕はなにか彼女に話をふろうとおもった。「今日はずいぶん寒いね」とか「眠くないか」といったたぐいのどこにもいかない質問だった。彼女が僕の唇の動きを読んで意味を解釈する。読唇術などと呼ばれるが、それはぼくたちにとってずいぶん曖昧な手段だ。誤認も生まれれば、さっぱりということだってある。その状況を前にした時に、僕は彼女に何を語り掛けるべきだろうと真剣に悩みこんでしまった。そして、結局僕は彼女に語り掛けることはできなかった。言葉は生まれず、会話を形作ることもなかった。
タカハシさんと飲んでいるときに、僕は多くの言葉を殺したと思う。不必要な発言をし、そこに芯のある返答が得られず、会話が終わるといったことだ。正しいか間違っているかで判断をすれば、僕は間違っていたと思う。誤解をまねかないように言うが、とても素晴らしい夜だった。それに対して僕は非常に無力だったような気がする。
生きた言葉を使いたい。意味があり、血が通った言葉だ。
今日も読んでくれてありがとう。僕は無力だ。お姉さまや乙女の優しがあるだけである。ずいぶん反省している。
金曜から月曜にかけて東京にいくので遊んでください。
さて、情報解禁されたね。まだマイナビににもリクナビににも登録してないのでどうしたもんかと思いながら、今日は先輩の紹介で女性と会い、その後はちょりすが住むシェアハウスの偵察に行ってきた。 “金曜から月曜にかけて東京にいくので遊んでください。” の続きを読む
「カニクリームコロッケ」夢で逢いましょう
どうして僕はこんなにもカニクリームコロッケのことが好きなのだ。
初めて疑問に感じたのは小学生の頃だった。どうして僕はカニクリームコロッケのことがすきなんだろう。不思議なんだけれど、僕は殆どの時間カニクリームコロッケについて忘れてしまっている。つまり、不意に誰かに「好きな食べ物は?」と訊かれると、真っ先に候補として頭に浮かぶのは焼肉とか寿司とか、いかにも「好きな食べ物」をしょって立つ食べ物たちなのである。その中にカニクリームコロッケの存在はない。なんとなく酒を飲みながらソファーで読書していると、ふと思いついたりするる。「そうだ、俺はカニクリームコロッケが好きなのだ」と。この世の中には「試着室で思い出したら本当の恋だと思う」という題名の書籍があるように、「読書をしながら思い出したら本当の好物」なのかもしれない。現に、僕は明日になったらカニクリームコロッケのことを忘れているだろう。それがどうしようもなく切なくなって、僕は急いでカニクリームコロッケについて文章を書いている。
僕がカニクリームコロッケに抱いた最初の疑問は「どうしてカニクリームコロッケという名前なのだろう」ということだ。誤解を恐れずに言おう。「お前さ、カニ、入ってる?」すみません、僕がどうしようもない馬鹿舌なのかもしれない。けれど、小学生から今に至るまで、いまだにこの疑問は未解決のままだ。先日、恐る恐る上司にカニクリームコロッケの話をした。もしかしたら僕が致命的な間違いを犯し続けているのかもしれない。と不安で眠れない日々が続いていたのだ。上司は「うん、カニクリームコロッケおいしいよな。よく作るよ」と何気なしに答えた。そして僕はこう続けた「カニクリームコロッケって、なんでカニなんでしょう」僕と上司の間に沈黙が生まれた。しばらくたって上司は「確かに、クリームコロッケでもいいよなあ」と言った。僕は胸をなでおろした。この世にカニクリームコロッケにカニが入っていない事実に違和感を持つ人が存在するのだ。
もしかすると、我々がカニクリームコロッケの真理に達する日は永久に訪れないのかもしれない。研究機関に潤沢な資金が投資され、日々研究分野の細分化が加速する現代において、なんの変哲のないお惣菜の謎が解明されないままにあるのだ。あるいは僕たちが寝ている間に魔法使いが頭からカニクリームコロッケの記憶を抜き取っているのかもしれない。僕は魔法使いがよなよな頭に杖をつきつけて記憶を引き抜く姿を想像した。カニクリームコロッケの記憶は白く糸状になっていて、水に浸すと散り散りにほどけてしまうのだ。(よしだ)
夢で逢いましょう「カニクリームコロッケ」
女を抱くのにコスパのいい筋肉は? 筋肉聖也とよしだ
今日は筋肉聖也くんにパーソナルトレーナーになってもらい筋トレをしてきました。
筋肉君はわりと理性的な文章をかいていたので、僕は直感的というかおよそ再現可能性の低いものを書いていこうと思う。
今日学んだこと。
「女を抱くのにコスパのいい筋肉について」
筋トレを初めて真っ先にたずねたことは「で、女性はどこの筋肉が好きなの」ということだった。別に自分のために筋トレしたいというよりかは、女性にもてるためだけに筋トレをするつもりだったので、あらかじめ筋肉に訊いてみたのだ。
「あのね、事前か事後で必要なものが違う」
「ほう」
「事後の話をすると、いちばん人気があるのは腕だね」
「厚い胸板に顔をうずめたい女の子とかいないの?」
「胸筋も大事だけれど、意外と好かれない。腕の筋肉があればピロートークに花がさくよ」
「なるほど。僕は腹のぜい肉や薄毛をもてあそばれることが多いので羨ましい」
「事前に好かれる筋肉はなにでしょうか」
「これは俺の価値観だけれど、事前に筋肉が目立つのはすきじゃない。明らかに筋トレしてるな。と他人に思われたくないんだよね」
「他人に筋トレしてると思われたくないけど、こそこそ週4で筋トレしてるの?」
「うん」
「精神構造の歪みがみられる、、、」
「話をもどすと、やっぱり筋肉は脱いだ後のギャップに使いたいんだよ」
「てことは筋肉鍛えても女性からもてないので、やっぱり内面と社交性が重要なのかな」
「かもね。女性に抱かれたくない。と拒否される体型じゃないことが重要」
「僕はぎりぎりセーフなんだね、、、」
「かぎりなくアウトに近いセーフだろ」
「はい、、、、」
「さっきギャップで女性を抱くという話がありましたが、僕は肥満体型じゃないですか。てなると、逆ギャップが起こるんですよ。こいつ意外とぽっちゃりしてんな。ていうさ」
「女の子ドン引きしてるんじゃない?」
「それが不思議と、腹のぜい肉をもてあそんで楽しんでる傾向にあるので、もしかするとぜい肉にもポテンシャルがあるのかもしれません」
「言い逃れをするな。デブ」
というインタビューというか大学生の居酒屋話をしつつ筋トレをしました。正直な話、筋トレについての非常に実用的な話を聞き、学びが多かったです。特に自分に不足していたなと感じるのは、最後の追い込み方。精神的な話ではなく、負荷の下げ方について技術的な話を聞きました。今後も筋肉から学んだことを記録していこうと思います。
今日も読んでくれてありがとう。「女を抱くにはギャップを見せる」「ピロートークは腕の筋肉が有効」ということでした。素晴らしい学び。
良いもんは酔い(ダーリンについて)
二日酔いに合わせて、思考の二日酔いになっている。
思考の二日酔いという言葉は僕が今適当に作った。前日の酒があとをひくように、前日の考えごとも後をひくのだ。僕は放っておくとずっと考え事をしてしまう人間なので、意識的に思考を停止する手段をいくつかもっている。その中で一番手っ取り早いのがお酒を飲むことだ。簡単に無になれる。
昨日は悪いことに、泥酔しながら真剣に考え事をしてしまった。しかもダーリンの、ずいぶん根本的な、答えのない内容についてだ。「人はなぜ生きるのか」みたいな命題を投げかけれられたら「知らねえよ馬鹿!」と一蹴するが「生きるために、書くとは」なんて命題をなげかけられたら、考えざるをえないだろ?
だから、胃に未消化のワインが残っているし、頭には未消化の命題が残っているのだ。な?思考の二日酔いっぽいだろう?
でだ、僕は酔った状態で今朝ダーリンに訪れた。正直悪くないなと思った。これは強がってるとかじゃなくて、本当に良いもんは酔い。良いもんは酔いってなんだよ笑これいいなあ。「良いもんは酔い」今後も使っていこう。何の話してたっけ。
今まで結構人の尻を叩くことに徹していた。叩くべきではない人はネタを掘り起こしたりしていた。それはやっぱり僕の手の中にすべて乗っているという感覚なのだな。で、乗っているのが当然だと思っているから、手のひらからこぼれ落ちたものが気になってしまうのだな。だから、「ダーリンで文章をかいてもらうためには」みたいな本質的でなければ、答えもない、くそしょうもない考えにいたるのだな。馬鹿か俺は。本当に馬鹿かお前は。
俺が今日ダーリンをみて感じた素晴らしさは、俺がなんと言おうと、もがいてるやつはもがいているし、弁当つくるやつは弁当作ってるし、それが偶然ダーリンという場所に集まっているということだ。それって嬉しくないか?僕がダーリンという公園を作ったとして、僕が家で酒を飲んでいる間、誰かがブランコにのってラブソングを口ずさんでいるかもしれないし、鉄棒でせっせと懸垂をしているかもしれないじゃない。それを想像したり、たまに見に行ったりするの、けっこう素敵なことだ。
早い話、俺は環境を作っただけで、ルールなんて求めていないので、好きなように遊ぼうぜってことだな。つーかそのつもりだけど?って人はごめんな。
「毎日文章書けない」 いいじゃん
「他のメンバーの記事読めてない」いいじゃん
「しょうもない文章しかかけない」いいじゃん
って感じだ。
今日も読んでくれてありがとう。ジャズバーのマスターは、自分の店にもかかわらず、たまにしか顔を出さない。見たい公演を見に来るし、酒をのみたいからのみに来る。マスターが50年も店を続けてこれた理由は、そこらへんにあるよな。これおもしろいな。考えてみよう。
昔作った自画像のお話。
こんにちは、よしだじゅんやです。
先週久しぶりに、地元の文化センターに脚を運ぶと「ジュニア油絵展」という展示会が開催されていた。中学生のときの思い出や高校生のころの思い出を振り返ると、なんだか懐かしくて覗いてみることにした。
僕は小学生、中学生と美術の時間が大好きだった。誰よりも集中して絵を描いたし彫刻を作った。その流れで高校に入ると美術部にはいることにした、合唱部とハンドボール部からのお誘いを断って決めた。