よなか

夜中には特別な空気が流れている。ここのところ夜更かしすることが多くなって、昔作った曲のことを思い出した。まだ自分の中では未完成なのだけれど、特別な空気が感じられるようで気に入っている。

いい加減寝よう。いつか気が向いたときにもう少し仕上げたい。

物語を考える思考に完全に切り替わってる気がする。何でもない文章を書こうとすると、気持ちを省いた事実を報告するだけの文章しか書けなくなってるな…。まあそういう時もあるよね。寝よう。

宝を探しに本山へ

僕の住んでいる場所は大学が近いこともあってか、いい古本屋さんに恵まれている。本山駅の六番出口を右に曲がって少し歩き、レンガの階段を下に降りると、要塞みたいな本屋さんがある。それがシマウマ書房だ。その古本屋さんにこの土日に2回行った。

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タイ旅行の記録①

タイ旅行中、けっこう暇になった時間はちょこちょこあった。電車に乗ってるときとか、タクシー待ちの時間とか。でも、わたしはダーリンを更新しなかった。最初のチェンマイいくぜ〜〜!!!から更新してなかったね。どうしてだと思う?Wi-Fiが繋がらなかったからだよポンコツネット環境め!

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日曜日の夜

日曜の夜、お風呂に入りながら「そろそろ新しいゲームを作り始めよう」と思った。夕方に文章を延々と書いて3000字になろうとしたあたりで切り上げ昼寝をして、夕飯を食べ終わったところでその文章を全て消そうと決めた後の話だ。

土曜はオーディオフェスタに行った。レコードの再生やハイレゾ音源の再生環境などが展示されているイベントだ。音楽仲間と行ったので、そのまま友人の家に行ってCubaseのプロジェクトファイルを作って帰った。

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簡易書留ってなんだ

はじめましての人も、そうでない人もこんばんは。

三角淑女です。

土曜日。やらなければいけない事がある。

ひとつは郵便局に行って簡易書留で書類を送ること。

もうひとつは苺を買うこと。真っ赤で粒の小さめのやつがいい。

足早に五反田の街を歩く。昼過ぎになるとそれなりに人通りも多くて、私は少し疲れていた。早く郵便局に辿り着きたい。

とことこ歩きながら、ふとん屋さん珍しいなあなんて眺めていたら、次に目に飛び込んできたのは八百屋さんで、軒下に置かれていたのは真っ赤ないちご。爽やかで甘酸っぱい香り。粒ぞろいで小さめ。うーん!理想的!

一瞬迷って、一番真っ赤なパックを1つ取った。手狭な店内にはきれいに野菜が並べられていて、私以外に3人ほどお客さんがいた。郵便局から帰ってくるまでいちごが残っている保証はない。

店奥のレジに向かうと、目がくりっとした健康的な肌色の女の子が「いちご、380円」と言ってこれまた美人のレジのお姉さんを見遣り、袋に詰める。

なるほど、店内の値札は可愛らしいカラーペンで彩られている。良いなあ。

土日祝日の郵便窓口は「ゆうゆう窓口」と言う。可愛らしい名前と可愛らしいサイズの窓口に、3人の脂の乗り切ったおじさん達が押し込められていて、入れ替わり立ち替わり相手してくれる。

窓の向こうの空気が、ちょっとだけ濃い気がした。

「402円です」

簡易書留、高いと思ってしまうのは、これは本来ならば「無い」予定だったからに違いない。

そう、これは先週行けなかった旅行の払戻しの書類を簡易書留で送り、渡せなかったバレンタインデー用のいちごを買い直していたわけです。

先週の尻拭いをしているだけ。

とまあ、書き始めた時は、インフルエンザで予定を吹っ飛ばされた悲しみをダーリンで発散させてやろうと思っていたのだが、書いていたらどうでもよくなった。

これがダーリン!!

日曜日。

人生で初めてスケートをしました。

一回しか転ばなかったし、なかなか上手に滑れたと思う。心地よい眠気まである。満点。

今回は、よしだくんのお題「今週末の過ごし方」に沿って書いてみました。

それでは、またお会いしましょう。

リストとスガダイロー。

こんばんは、よしだじゅんやです。

今日は地元のホールでオペラを鑑賞してきました。結果からいうと、ソプラノ歌手は普通だったけれど、ピアノがとても良くて、得るものが多かったです。

僕は開始10分ぐらいで帰ろうかと思いました。寺山修司作詞の「悲しくなったときは」を演奏し始めたのですね。「悲しくなったときは、海を眺めるのだ」そうで、僕は一瞬でうつ病になって死ぬかと思いました。その場で帰ろうかと思ったのですが、他のお客さんの迷惑になるなと考えて、一部が終わるまでは観ることを決めました。

ここで、ピアノソロがありました。リストの「ラ・カンパネッラ」でした。

どうっすか。動画で見ると、「リストってこうやってマスターベーションするんだあ」みたいな感想しか出てきませんが、静まり返ったホールの中でこれを完ぺきに演奏されたら正直ぐうの音も出なくなりました。お前の右手どうなってんだよ。みたいなところからはじまって、キメの細かな高音域の波に心を奪われてしまったのですね。余韻に浸っていると。また太ったソプラノ歌手が出てきて歌い始めました。同じくリストの「おお、愛しうる限り幸せ(愛の夢)」でした。

ピアノソロを挟んでからのオペラはなぜか素晴らしくて聞き入ってしまいまいました。

僕がこのオペラをみて気づいたことは、必ずしも音楽の良し悪しで音楽を評価しているわけじゃないんだなということです。まあ、好きな音楽を想像してもらえればわかると思う。人が音楽を聞く理由は様々だ。僕にとって「ラ・カンパネラ」はどこまでいってもリストの影が残るものだ。おそらく多くのクラシック鑑賞者やクラシック奏者達が共有している感覚がある。それは「先人たちの技術を継承する尊さ」だと思う。僕たちははなから演奏家の演奏を期待していないのではないかな(語弊があるけど)。リストの音楽が現世に継承され、ホールでちゃんと聞くことができることに対して僕たちは感動しているように思える。そして、演奏者はそのような尊さのもと、日々リストの片頭痛みたいな曲を練習しているんじゃないかな。ある者はチャオを引き裂かれて泣きながらね。改めて今日感じたのはそこだった。

よく考えていくと、「伝承される尊さ」を強く感じて好感を持っているアーティストが何人か思い当たった。ピアニストのスガダイローや、ZAZENBOYSの吉田一郎のような人たちだ。

誤解を生みそうだけれど、動画の通り即興が強いジャズピアニストだ。僕が初めて彼の演奏を聞いたのは例のジャズバーで、当日はスガダイローを目当てに店は満席状態だった。ピアノとサックスのデュオだった。どちらもメインテーマからすぐに外れて、同時にソロを演奏し続けているのだけれど、手品みたいに元のテーマに戻ってきて素晴らしい着地を繰り返すのだ。あまりにスリリングな演奏に僕はろくに接客をせずに壁にもたれかかってにらみつけるように彼の演奏を聞いていた。

当日はバーのマスターの河合さんが演奏を聞きに来ていた。70代のおじいちゃんで足腰をおぼつかない部分はあるが、たまにふらっと店に現れては、カウンターに座り黒霧島の水割りを黙って飲んで帰っていく。僕からするとただのおじいちゃんなんだけれど、ジャズ界隈では有名らしくその名前を聞かない人はいない。らしい。
演奏が終わり、僕が満足気な顔をしていると、河合さんがカウンターから「おい、純也」と声をかけた。なんですかと耳を傾けると、いつもより熱くジャズについて語り始めた。「あいつは、よく勉強してるよ。世の中のリスナーは、独創的と評価するかもしれない。けれど彼の演奏の殆どが先人たちが必死の思いで培ってきた技術の積み重ねだ。彼ほど努力している演奏家はいない」と語って、店を後にした。

僕にはジャズの偉人たちの知識はないし、聞いたことすらないものがたくさんある。けれど、ジャズの古い愛好家や演奏家がスガダイローを認めるのは、どこか過去の技術を継承していく尊さを感じているからなのじゃないかな。彼らにとってはなんだけど。

今日も読んでくれてありがとう。最近ジャズの話をよくするように、また興味がわいてきています。ジャズかっこいいんだよ。クラシックもちょくちょく聞いていきたいね。

時差ボケウィーク

タイ旅行から帰ってきて二日間ぐらいは時差ボケで寝込んでいた。タイと日本の時差、どのくらいだと思う?2時間だよ2時間。わたしはあんまり時間を気にして行動しないタイプだ。眠気が来たらそれは夜だし、目が覚めたらそれが朝。それがいくらお昼でも、わたしにとっては朝だったりする。ま、要するにわたしは時間を見ない人間だ。だから時差の2時間なんて軽く見てた。ところがどっこい、この2時間がなかなかのくせ者だった。

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