てんさいだから。ねます。
野外映画祭のお知らせ。
こんにちは、よしだじゅんやです。サラーリマンごっこ3日目です。今日はドーナツとカフェオレを昼食にしてダーリンを書いております。
最近の定番お昼ご飯よ。
イッタラのマグカップにカフェオレ注ぐと可愛くなります。 pic.twitter.com/OyyaFfJRyE— よしだじゅんや (@atoms50) January 21, 2019
Another One Bites the Dustとダビデ像
目に見えるものや、耳で聞けるものや、手で触れられるものがすべてだと思っている。
そこに解釈の余地などなく、あるのは理解の質だけだと思う。
ななこちゃんとの筆談デート 前振り
こんにちは。よしだじゅんやです。
さきほど、SBIアートオークションの参加登録をしました。よくわからんサブカルくそオタク学生がガチのモダンアートを競り落としたら面白いかなあとか思っております。けっこうガチで競り落としにいくぞ!!!2月のスタートが東京でオークションに参加ってなんかいいな。景気がいい。
よしだサラリーマンごっこ2日目
こんにちは、よしだじゅんやです。
カオソーイ美味しすぎ警報きた。 pic.twitter.com/oxrcsakFcj
— よしだじゅんや (@atoms50) January 18, 2019
会社の近くのタイ料理屋でカオソーイを食べてきました。ここのカオソーイがまじで絶品だからみんな食べてほしい。写真右下にカット檸檬が添えられているじゃないですか。これ、入れた瞬間にカオソーイがありえないぐらい美味しくなるからためらわずに入れてください。ラーメン屋さんで、お好みでコショウやにんにくを入れてください。みたいなシステムがあるじゃないですか。あれと同じように扱ってはいけません。カオソーイにとって檸檬は欠かせなものであって入れないことは考えられない。レモンいれた瞬間に酸味のレイヤーがフロントに生まれて、構造的な奥行きがでる。このダイナミックさにびっくりするよ。まじで食べてくれ。
よしだの相棒を募集
こんにちは、よしだじゅんやです。
以前綾部と対談したものの原稿があがってきました。僕が酒をのみながら気持ちよく話をし続けたので、ずいぶん編集者泣かせだなあなどと他人事のように静観していたのです。が、あやべの編集をみてすごい感動した。ざっくばらんに語れた話を、話の流れを腰おらない程度にクッションいれたり、超約したり、大胆に切り捨てることで、しつかりと芯が通った記事になっていた。これは僕も頑張らないとなと背筋が伸びる思いがした。
よしだ、社会に踏み入る。
こんにちは、よしだじゅんやです。
今日からスーツを着てオフィスで作業をするサラリーマンごっこが始まりました。めっちゃひさしぶりに7時とかに目覚ましをかけて起床し、電車にのって通勤しました。どう、偉くない?よしだじゅんやちゃんと出社できるのえらくない。この文章を読んだ人はかならずコメント欄にによしだへの賛美を書き込むように。
ステップを踏み続けろ!
こんにちは、よしだです。
僕はステップを踏み続けないといけない。それもうんと上手に。先日そのような話を涙ぐみながら書き上げたのだけれど、悲しいことにすべて消してしまい公開することができなかった。当日のエモーショナルな文章を再現することはできないけれど、なんとなくそんな話をしよう。
ぼくのダーリン課題図書
本を読むから、本を読む。
こんにちは、よしだじゅんやです。
2日ぶりくらいにダーリンを書くなあ。インプットの量は変わらないけれど、最近アウトプットのリソースを他に割り当てすぎてしまって、文章を書く気にならなかったのだろう。と思う。駄目な人間なので、自分の正当化は得意中の得意だ。
よし、駄目な人間だから、もっと言い訳をしてやろう。今日はそういう日にするぞ!いちびっちゃうからな!
さっきリソースの容量の話をしたが、もう一つ理由が考えられる。
なんで今日のダーリンをかかなかったのか。それは「昨日の今日のダーリンを書かなかった」からだ。もし、僕が今日この文章を書かなかったとしたら、明日も同じ理由で今日のダーリンを更新しないだろう。
例えば、僕はお正月にビジネス本を20冊購入し、最近一日一冊以上のペースで読み進めている。けれど、それまで半年間以上、参考書を除いて本という本をまったく読んでいなったのだ。当時の僕は週に4日くらい本屋にかよっていたし、週に3冊くらいは本を読んでいたので、客観的にみて異常事態なわけだ。それで、本を読まない期間にどうして僕は本をとんと読まなくなったのかを考えてみた。答えはとってもシンプルだった。「本を読まないから、本を読まない」のである。言い直すと「人は本を読むから、本を読む」のだ。これは言い訳でもなんでもなく、そういうものなのだ。だれか証明してくれ。
本を読むと、あるいは本屋にいくと、否が応でも本との接点が生まれる。一冊の本を読むと、次に読むべき本が5冊くらい現れる。それを繰り返すと、どうやっても時間を捻出するととができないような「読まれ待ち」の本がストックされていく。こうなったらもう本の世界からは簡単には抜け出すことができない。
同じ様なことがダーリンにも言えて、ひとつの文章をかくと、次に書くべき文章がなんこか現れるのだよね。しかたなかくそれを書くのだけれど、書くべきことは減るどころかどんどん増えていく。
つまり、とにかく、なにかを始めることが大事なんだろう。ぼくのダーリンでもそうだ。とにかく書き始めることがとっても大事だ。そうやって自分の気持ちを自分で操作できるようになるとなかなか楽になるからぜひ試してみてほしい。
さて、最近おもしろいなあと思ったことがある。先日ななこちゃんが女優を目指していた当時の話をダーリンで書いてくれた。正直、本当に背筋が伸びる思いがした。あやべのダーリンを見に行くと、あやべもななこちゃんに触発されたらしくて、気合の入った文章を書いていた。それを、わかるなあなんて思いながら読んでいると、朝の五時半くらいにもえちゃんがぽろっと今日のダーリンを更新した。おそらく、みんなななんこちゃんの文章を読んで書かずにはいられなくなったんだろう。僕はラブホのやけに低反発なベットで泥みたいにねそべって読んでいたが「俺はなにをしているんだ」とどうしようもなく情けない気持ちになった。書けよ自分!と奮い立たせたが眠すぎて寝てしまったんだけど。
僕は、自分の気持ちを自分で操作しないと。と考える人間だけど、ぼくのダーリンにいると、誰かの文章が僕をポジティブにさせて、文章を書かせようとする。これはとっても気持ちがいいし豊かだと感じるんだよ。ぼくのダーリンつくってよかったなあ。
みんなもそう思わない、、、、、?ねえ、、、、?
今日も読んでくれてありがとう。よしだは飽き性なので基本三日坊主なのですが、なぜかダーリンは続けています。よしだが文章を書いていなかったら石ころを投げつけるのではなく、最高の文章を投げつけてください。たぶん書きます。たぶんね。